平川唯一さんは、日本の英語教育の第一人者で「カムカム英語」の生みの親です。
若い頃の顔画像(写真)や、死因が凄いのかなどが気になる方は多いのではないでしょうか(*^^*)
2021年の後半のNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の軸ともいえる立ち位置で、「さだまさし」さんが演じています^^
カムカムエヴリバディは、母子3代の人生に大きな影響を与え、彼女たちの人生にどのように関わっていくのか、とても興味が尽きませんよね^^
日本だけではなく、世界中に英会話の面白さや英語を学ぶきっかけを与えてくれた偉大な人物です。
今回は、平川唯一さんの若い頃の顔画像(写真)や、死因とアメリカへ留学していた事などについて紹介していきます。
スポンサーリンク
目次
平川唯一の若い頃の顔画像(写真)!
話の内容は脚本家オリジナルだけど、さだまさしさんが演じる平川唯一さんは実在する。#カムカムエヴリバディ pic.twitter.com/19Dtlkb8nU
— Kタカ (@HitUltra) October 22, 2021
平川唯一さんの、若い頃の顔画像(写真)を紹介します。
NHKラジオで英語会話を放送している時の姿が有名です(*^^*)
平川唯一さんの若い頃の顔画像(写真)は、あまり残ってはいないのですが俳優時代の顔画像(写真)がありました。
アメリカにいた時に、俳優として舞台に立っていたキャリアの持ち主です。
そして1946年2月から、5年間勤めていたNHKの英語会話の講師を退任した後にも、俳優として映画に出演されています。
つまりは、アメリカに滞在中か、もしくは1951年以降の写真でしょう。
1951年と言えば、平川唯一さんは「49歳」ですね。
若い頃とは、ちょっと言い難いですが実年齢よりもとてもイケメンな印象です(*^^*)
平川唯一さんは、死因が凄そうですが91歳で天国に旅立たれています><
49歳の頃の姿を見ても、「若い」と思う方が多いでしょう。
NHKでラジオ英語会話の講師をしていた時の年齢は、45歳の時の顔画像(写真)です。
俳優時代の顔画像(写真)をせっかく見つけたので、両方の姿を見ながら、私が受けた印象を紹介します。
カムカム英語を放送中は、オールバックでとてもやさしい雰囲気の素敵な男性です(*^^*)
ラジオで発音や声も良くて、聴き取りやすいと思った人がたくさんいたでしょうね。
そして、俳優としての顔画像(写真)は役柄もあると思いますが、とても凛々しいお顔立ちをされています。
なので、若い頃はとってもモテていたでしょう^^
平川唯一の若い頃と現在の顔画像(写真)を比較!
平川唯一さんの、若い頃と現在の顔画像(写真)を比較しました。
1993年に91歳で帰らぬ人になっていますので、晩年のお年を召した頃のものがありました。
それは、1981年に「みんなのカムカム英語」の出版記念パーティーの顔画像(写真)です。
この時の平川唯一さんは、79歳の時ですね。
この年齢で、精力的に活動され出版までされているってすごいですよね^^
白髪でとてもしっかりしたやさしい笑顔で笑っている、とても良い歳の取り方をされている人という印象を受けました(*^^*)
見ているこちらも、笑顔になってしまうような笑顔ですが、しっかり芯の通った一本筋な感覚も感じます。
平川唯一さんの、若い頃と現在の顔画像(写真)を比較して見ると昔は楽しみながらも仕事をしているという、まだ途中の印象です。
晩年の姿からは、「達成感・やり遂げた」という感覚がひしひしと伝わってきます^^
こうして比べて見ると、ちょっと不謹慎かもしれませんがとても面白いですよね。
なんだか、一つの物語を見ているような感じになりました(^^)
一つのことを、続けることはとても大変ですが、やり遂げた人の達成したお顔を見ると、私たちも「頑張ろう」という気持ちにさせてくれますからとても不思議ですね(^^)
スポンサーリンク
平川唯一の若い頃は異性にモテモテだった?
平川唯一さんの、若い頃は異性にモテモテだったのか調査しました。
「Joe平川」の名前でハリウッド映画や舞台にも出演していましたし、晩年にも俳優として映画にキャスティングされていたので、ルックスも申し分なかったでしょう(*^^*)
ただ平川唯一さんは、16歳の時に渡米して、現地で仕事をして、17歳の時から英語を学び始めた経歴があります。
そのようないきさつがあることから、おそらくは例えモテていても、恋愛よりも仕事・勉強を優先していたのでしょう。
17歳の時から英語の勉強を始めましたが、高校時代には弁論大会で3位を取るほど、現地の人にも劣らないほど英語力が上達していたと言われています。
そこまで語学を習得するには、やはり並大抵の努力が必要だったのでしょう><
平川唯一さんが滞在していたのは、アメリカなので英語が日常的に使われている場でもあります。
書生として住み込んでいたご家庭も米国のご家庭ですし、英語に触れる環境は十分すぎるほど整っていたはずです。
高校を卒業後は、ワシントン大学に進学されていますから、語学だけではなく他の教科の勉強もしっかりしていたのでしょうね。
ですので、平川唯一さんの若い頃は異性にモテモテだったでしょう(*^^*)
だけど、その時の状況として勉学や仕事を中心にしていたため、あまり自覚はなかったのではないでしょうか。
平川唯一さんの死因が凄い?
平川唯一さんの、死因が凄いと囁かれているので紹介します。
正確な病名などは伝わっていませんが、91歳という年齢で天国に旅立たれていますから、「老衰」が原因でしょう。
ですので、死因が凄いというか「大往生」をされていたからきっと、平川唯一さんが後悔していることは少なかったと思います。
戦中戦後の混乱期を無我夢中で生きて、日本の英語教育の先駆者として、たくさんの人々に影響を与えた人物です。
臨終の際もドラマチックな最期を予想されている人も多いかもしれませんが、私は、穏やかな大往生を迎えられたと思います^^
平川唯一さんの、昔の顔画像(写真)が撮られた頃と晩年の時とでは、自身の英語力も桁違いにアップしているのでしょうね。
年齢を重ねるほど、脳細胞は段々と減少していくことがメカニズムとして解明されていますが、これだけ語学に精通していると記憶力もとても良かったはずです。
まさに、「人間は一生勉強」と言われる名言のお手本のような方ですよね^^
平川唯一は若い頃にアメリカへ留学していた?
平川唯一さんは、若い頃にアメリカへ行っています。
これは留学ではなく、父親の「平川定二郎」さんがアメリカに出稼ぎに行っていたことがきっかけです(*^^*)
渡米していた、お父さんのもとへお兄さんとともに行ったことから始まります。
その後、線路工や日本人向けの商店で働きだしました。
平川唯一さんは、若い頃に留学のために渡米したわけではなく、ある意味「出稼ぎ」のためにアメリカに行ったということですね^^
出稼ぎでアメリカに行ったけれど、仕事をしていくためには英語を学ぶ必要があったから英会話を頑張って覚えたのでしょう。
死因が老衰ということですので、長い間、多くの日本人ならびに外国人に「カムカム英会話」を聴いて貰うことができたはずです。
きっと、平川唯一さんのお陰で英語力がかなり上達した人達がたくさんいたと思うので、その功績は偉大すぎますよね^^
アマリカへ渡った当時は、まさか自分が世界中に英語を普及させることになるとは夢にも思っていなかったのではないでしょうか(笑)
普通に、私は平川唯一さんに「国民栄誉賞」くらい授与してあげても全然良いと思ってしまいました。
平川唯一は若い頃から英語が話せた?
平川唯一さんは、若い頃から英語が話せたのか紹介します。
16歳の時にアメリカにお兄さんと一緒に行っていますから、渡米した時は英語は全く話せず商店の販売員として勤務していた時に「英語が話せなければいけない」と思ったのだとか。
その後、17歳の時から英語の勉強を始めていました。
その時は、商店での仕事を辞めて、現地のご家庭に住み込みで書生として、小学校に入学したと言われています。
17歳の青年が、現地の子供たちと一緒に学んでいたということですから行動力がとてもありますよね(*^^*)
その時、「昼間は学校に行き、帰宅後は部屋の掃除や夕食の片づけ」と書生としての仕事もこなしつつ、勉強を頑張り、なんと飛び級で進級して3年で卒業したのだとか( ゚д゚)ハッ!
最終的には、ワシントン大学に入学して演劇科を首席で卒業したと言われています(^^;
トータル12年間、学校に行き学んでいるのですが、17歳から英語の勉強を始めて小学校を飛び級で進学ってすごいですよね。
アメリカに行った当時は、英語は全く話せなかったんだとか><
ですが、一念発起して英語を学び最終的にはワシントン大学に行って卒業しているのですから、現地の人に劣らない英語力をしっかり身に着けたのでしょうね。
この一連の流れを見ても、芯の通ったすごい人だとわかります。
私なんか、未だに一カ国の日本語しか話せません><
カムカムエブリバディを見て、英語に興味を持ちましたがいざ英会話を習おうと思っても時間が膨大にかかるだろうな~と及び腰になっています^^;
【平川唯一の関連記事】
平川唯一のまとめ
平川唯一さんは、NHKラジオで英語会話の講師をしていました。
若い頃の顔写真(画像)では、髪の毛がフサフサで親しみやすい人柄な印象を受けました^^
日本人にとって「わかりやすい英語を」と、オープニングの「カムカムエヴリバディ」は、とても親しみやすく、その当時の人たちも簡単に口ずさんでいましたね。
死因は、病気ではなく老衰で91歳まで長生きされました。
戦争が終わり、これからは英語が必要になってくることがわかっていた、日本の英語教育の先駆者ともいえる人です。
決して順風満帆とは言えない、波乱に満ちた生涯だったでしょうが、周囲の環境も利用して学び続けたその姿勢は称賛に値するものですね。
平川唯一の若い頃の顔画像(写真)!死因が凄い?昔はアメリカへ留学していた!
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
スポンサーリンク
コメントを残す