ユージンスミス(水俣)に結婚した嫁(妻)や子供はいる?兄弟・家族構成が気になる!

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ユージンスミス(水俣)さんが、主人公の映画『MINAMATA-ミナマタ-』が注目されていますね(*^^*)

 

結婚した嫁(妻)や子供はいるのかや、家族構成などが気になる方は多いのではないでしょうか。

 

主演のジョニー・デップさんをはじめ、美波さんや真田広之さん、浅野忠信さんや加瀬亮さんなどキャストも注目されています。

 

『MINAMATA-ミナマタ-』のモデルとなったのは、アメリカの有名な写真家ユージンスミス(水俣)さんで、アイリーン美緒子スミスさんと共に作った写真集『MINAMATA』です。

 

水俣病は、熊本県水俣市とその沿岸で起きた公害病で、工業排水から出される有機水銀が原因です。

大勢の患者さんや家族の方々が長い間苦しんできました><

 

 

今もなお、その訴訟は続いていて、まだ多くの方々が辛い思いをしています。

 

熊本県出身の母は「患者さんやその家族は、好奇の目や興味、差別といった偏見による精神的苦痛も大きかったみたいよ。」と話していました。

 

この病気の悲劇を世界中に伝える大きなきっかけとなったのが、ユージンスミス(水俣)さんであり、写真集『MINAMATA』でした。

 

若いころから写真家として活躍し、写真集『MINAMATA』以外にも多くの作品を残してきました。

 

今回は、ユージンスミス(水俣)さんに結婚した嫁(妻)や子供はいるのかや、兄弟・家族構成などについてご紹介していきます。

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ユージンスミス(水俣)に結婚した嫁(妻)はいる?

ユージンスミス(水俣)さんに、結婚した嫁(妻)はいるのかご紹介します。

 

1971年に来日し水俣市を訪れた際に、ユージンスミス(水俣)さんには同行した女性がいました。

この女性は、アイリーン美緒子スミスさんという、ユージンスミス(水俣)さんの奥さんです(*^^*)

 

出会いは、1970年8月でユージンスミス(水俣)さんが51歳、アイリーンスプレイグさん(のちの妻アイリーン美緒子スミスさん)は20歳でした。

 

出会いから1週間でアイリーンさんは、ユージンスミス(水俣)さんのアシスタントとしてニューヨークで同居を始めました。

 

翌年1971年に来日し、日本で婚姻届けを提出し、東京で披露宴をおこなっています。

俗にいう『年の差婚』だったのですね^^

 

実は、この結婚はユージンスミス(水俣)さんにとっては、二度目の結婚でした。

一度目は、1940年頃にカルメンマルティネスさんという女性と結婚しています

 

しかし、ユージンスミス(水俣)さんが仕事にのめり込みすぎるあまり、結婚生活は破綻してしまったのだとか><

カルメンマルティネスさんの詳細は不明ですが、1957年頃に離婚しています。

 

ですから、ユージンスミス(水俣)さんと結婚した嫁(妻)は、カルメンマルティネスさんと、アイリーン美緒子スミスさんの2人となりますね。

 

戦争という激動の時代にユージンスミス(水俣)さんを支えたカルメンマルティネスさん。

 

 

後遺症に苦しみながらも、写真集『MINAMATA』を完成させたユージンスミス(水俣)さんを支えたアイリーン美緒子スミスさん。
お二人ともとてもメンタルの強い女性なのかなって想像できますね^^

ユージンスミス(水俣)の結婚観について!

ユージンスミス(水俣)さんの、結婚観についてご紹介します。

 

人間味にあふれた、人と人との絆をとても大切にする方だったと言われています(*^^*)

ですので、妻のアイリーン美緒子スミスさんに対しても同じように愛情を持って接してきたのでしょうね^^

 

アイリーン美緒子スミスさんは、ユージンスミス(水俣)さんに出会って1週間で「ニューヨークでアシスタントとして一緒に暮らしてほしい。」とか、「君が大学に戻ったら私は天国に旅立つ・・・。」などと熱烈に口説かれています。

 

アイリーン美緒子スミスさんは、それに対して「こんなに欲せられたのは初めてだった」と言っていました。

それからは、1975年に離婚するまで、片時も離れることなくいつも2人一緒にいたんだとか^^

 

 

さすが、ユージンスミスさんと結婚した嫁(妻)だけあって、冒険心があり努力家ですよね!

 

また、ユージンスミス(水俣)さんは、長いこと負傷した後遺症に悩まされていました><

ある時、真夜中に頭と目が激しく痛んだユージンスミス(水俣)さんは、アイリーン美緒子スミスさんに「斧で頭を割ってほしい」と頼んだと言われています。

 

ちょっとびっくりする話ですが、こんなこと本気でも嘘だとしても誰にでも言えることじゃないですよね><

そう考えると、それほどまでに2人の絆は深かったのでしょう。

 

とくに、水俣で過ごした3年間は、アイリーン美緒子スミスさんにとっては初めての仕事でした。

 

反対に、ユージンスミス(水俣)さんにとっては、最後の仕事になると覚悟を持ってお互いに支えあっていたはずです。

夫婦は、カメラを介して強く結ばれていったとも言えるでしょう。

 

2人で何か1つのことに取り組めるなんて、ユージンスミス(水俣)さんとアイリーン美緒子スミスさんは理想の夫婦像ですよね^^

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ユージンスミス(水俣)の結婚した嫁(妻)の評判について

ユージンスミス(水俣)さんの、結婚した嫁(妻)の評判についてご紹介します。

 

アイリーン美緒子スミスさんが旦那さんと出会った頃、彼は仕事への気力を失っていたのだとか><

そんなユージンスミス(水俣)さんに再び創作意欲を掻き立てさせたのは、奥さんの存在でした^^

 

ある時、知人から水俣病のことを知らされた2人はすぐに準備をはじめて、1971年に来日し水俣市の患者さんが多発した地域で住み始めます。

 

 

この話を聞いた時、アイリーン美緒子スミスさんは、いてもたってもいられなかったんだとか><

10歳頃まで日本で暮らしていたので、『ふるさとが壊される・・・』そう思ったと、のちに話しています

 

ユージンスミス(水俣)さんは、『水俣』という取材対象を見つけたことで仕事への情熱を取り戻しました。

 

後遺症に苦しみながらも情熱をもって取材・撮影をするユージンスミス(水俣)さんを、結婚した妻(嫁)さんは叱咤激励し撮影を続けます。

 

 

妻でありながら、時には母親のような愛情で支えていたのでしょうね(*^^*)

 

1975年に2人は離婚してしまいますが、アイリーン美緒子スミスさんは、「もう限界だった」と話し精根尽き果てた様子だったと言われています。

 

そこまでして、夫を支えてきた妻さんに私は、ちょっと感動しました(*^^*)

 

ユージンスミス(水俣)さんとアイリーン美緒子スミスさんは、水俣の人々とも対話を大事にして時間をかけて打ち解けていきました。

 

一緒に食事をしたり、お酒を飲んだり、歌ったりして二人の時間を大切にしてきました。

 

時には友達のように、時には家族のようにあたたかい心で水俣の地域の人たちと向き合いました。

 

このように、水俣の人々とも信頼関係が保てたことで良い取材や撮影ができ、そうして写真集『MINAMATA』は完成したのでしょう。

 

時を経て、奥さんは水俣を訪れていますが、その時にもその地域の人たちとの絆は変わっていなかったのだとか。

その言葉からも、当時から本当に強い信頼関係ができていたことがわかりますね^^

ユージンスミス(水俣)に子供はいる?

ユージンスミス(水俣)さんに、子供はいるのかご紹介します。

 

作品を見てみると、子供を撮った写真もたくさんあります(*^^*)

そのうちのいくつかは、実子を撮ったものなんだとか。

 

ユージンスミス(水俣)さんに子供は、3人いました。

最初に結婚した嫁(妻)の「カルメンマルティネス」さんとの間にできたお子様で、家族構成で男の子1人と女の子2人がいます

 

長男は、ケビンスミスさんという名前で、1954年に生まれています。

 

長女は、マリッサスミスさんという名前で、ユージンスミス(水俣)さんとカルメンマルティネスさんが結婚した1年後(1941年)に授かりました。

 

次女は、ワニータスミスさんという名前で、年齢など詳細は不明です。

 

しかし、『私の娘ワニータ』という題材の写真が1953年に撮られているので、ワニータスミスの生まれは1953年より前と考えられますね。

 

子供との時間をとても大切にしていたユージンスミス(水俣)さんは、きっと、子煩悩な父親だったのでしょうね(*^^*)

ユージンスミス(水俣)に兄弟はいる?

ユージンスミス(水俣)さんに、兄弟はいるのかご紹介します。

 

かなり昔の方なので、子孫や家系図情報なども少ないです><

作品のモノクロな印象からも古風な雰囲気が伝わってきますよね^^

 

ユージンスミス(水俣)さんは、水俣の患者さんやその家族たちのことを自分の兄弟とか家族のように思っていたことでしょう。

 

水俣病で苦しんでいる人たちの姿を写真に撮りながら、その被写体になってくれた方たちに寄り添い愛情を注いで作品を作り上げてきました

 

その気持ちが伝わったからこそ、水俣の方たちは自然体な姿をユージンスミス(水俣)さんたちに見せてくれたのでしょう。

 

情にあふれた、人と人との絆を大切に人だからこそできたのでしょうね^^

ユージンスミス(水俣)の家族構成が気になる!

ユージンスミス(水俣)さんの、改めて家族構成をご紹介します。

2回結婚していたので、妻(嫁)はカルメンマルティネスさんとアイリーン美緒子スミスさんの2人です(*^^*)

 

何度も出会いがある人もいれば、全く孤独に人生を終える人もいるなかで2度も相思相愛状態になれるのは羨ましいですね^^

 

 

私は独身ですから、夫婦生活というものを経験したことがありません><

きっと、毎日、支えてくれる奥さんや旦那さんが居るってことは幸せなんでしょうが、大変なこともたくさんあると思います。

 

 

特に、子供を授かったら育児や家事に追われる生活になるので、夫婦でゆっくり過ごす時間も減るでしょう><

 

ユージンスミス(水俣)さんの家族構成は、ケビンスミスさん、マリッサスミスさん、ワニータスミスさんの3人の子供がいます。

水俣の患者さんや家族たちに寄り添い、自分の兄弟や家族のように愛情を持って接してきました(*^^*)

 

 

ユージンスミス(水俣)のまとめ

ユージンスミス(水俣)さんに、結婚した嫁(妻)は「アイリーン美奈子スミス」さんと「カルメンマルティネスさん」が居ます。

生涯で2回、違う女性と夫婦生活を共にしているのですね。

 

結婚観は、とても愛情豊かで、奥さんとの絆は深かったと言われています。

アイリーン美緒子スミスさんは、ユージンさんの創作意欲を引き出し水俣での撮影を通して愛が深まりました。

 

子供は、一男二女の3人という家族構成でした。

実の兄弟の詳細は不明でしたが、水俣の方たちを自分の家族や兄弟のように愛していました。

 

ユージンスミス(水俣)に結婚した嫁(妻)や子供はいる?兄弟・家族構成が気になる!

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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