渋谷天外(2代目)の経歴や死因が凄い?若い頃の生い立ち!九重京子と再婚していた!

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渋谷天外(2代目)さんが、NHK朝ドラマ「おちょやん」で浪花千栄子さんの結婚した夫(旦那)です。

 

素晴らしい若い頃の生い立ちは破天荒で、とっても女性好きでした(笑)
そんなプレイボーイな渋谷天外さんですが、仕事熱心でプライベートとビジネスをはっきりと分けています。

 

仕事が出来る男性ほど、私生活では遊びまくって上手くストレス発散している人も多いです。
立派な経歴はさすがだなと感じさせますね。

 

「おちょやん」は浪花千栄子さんをモデルとして、戦前から戦後の大阪を舞台に1人の女性が女優の道を目指す様子を描いた作品です。

 

当時、脚本家や役者として活躍されていた渋谷天外さんですが、一体どんな方なのでしょうか気になる人も多いのではないでしょうか。

 

今回は、渋谷天外(2代目)さんの経歴や死因が凄いのかや、若い頃の生い立ち情報と実は、九重京子さんと再婚していた事などについてご紹介していきます。

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渋谷天外(2代目)の経歴が凄い?

渋谷天外(2代目)の経歴が凄いと、囁(ささや)かれているのでご紹介します。

 

1906年(明治39年)6月7日に、楽天会という劇団の主宰者であった初代渋谷天外の長男として京都で誕生しました。

 

そして、年齢が8歳の時に、当初出演する予定だった子供の代役として同劇団で初舞台を踏みます。

 

16歳の頃、学歴もなく進路に悩んでいた2代目に、喜劇役者の曾我廼家十郎さんが脚本を書くようにすすめます。

 

渋谷天外(2代目)さんの経歴で、初めての代表作品は曾我廼家十郎さんの劇団で上映され、脚本家としての頭角を現します。

 

 

1928年(昭和3年)に2代目渋谷天外を襲名してから天国に行くまでの間、脚本家や役者として活躍しています。

そして、晩年には、その若い頃からの功績が評価され数々の賞を受賞しました。

 

 

また、渋谷天外(2代目)さんは社会や福祉、文化などに貢献した人に天皇から贈られる、紫緩褒章と勲四等旭日小緩章も授与されています(*^^*)

 

天皇から授与されるって、凄い経歴ですよね!

 

渋谷天外(2代目)さんは、戦前から戦後という激動の時代の中で、幼くして父親を失い小学校も卒業できなかたとか><

 

周囲の大人にも頼れない状況の中、それでも諦めずに立ち上がって前に進む姿勢には心を打たれます。

2代目の周囲の方もパワフルな人物が多く、力強く人生を駆けていく姿は素敵ですよね♪

渋谷天外(2代目)の死因が凄い?

渋谷天外(2代目)さんの、死因が凄いと囁かれていますのでご紹介します。

 

実は、1983年(昭和58年)3月18日に76歳で天に召されるまでに、何度も命の境を彷徨っています!

 

そして、昭和40年9月に、京都の南座公演中に脳内出血を起こし、右半身不随になってしまいます。
しかしその後リハビリに励み、昭和42年10月に舞台に復帰しました。

 

そして勲四等旭日小緩章を受章後の昭和52年12月に、旅行先のハワイで再び脳内出血を起こし、その後遺症で声を失ってしまいます><

 

渋谷天外(2代目)さんは、若い頃から頑張っていた役者のお仕事で声が出ないというのは致命傷なので、事実上の引退となりました。

渋谷天外のスーツ姿

 

 

5年後の、昭和57年10月に人間ドックで入院した際に消化器官から出血して危篤状態になっています><

 

奇跡的に回復しますが、翌年の昭和58年1月に3度目の脳内出血を起こして意識不明になってしまいます。
そして2か月後の3月、76歳でその生涯を終えました。

 

生い立ちから、生涯を終えるまでの間に何度か危険な状態に陥ったようですが、渋谷天外(2代目)さんの最終的な死因は脳出血ということになります。

 

幼いころから役者として舞台に立って活躍してきた渋谷天外さんですが、後遺症で右半身麻痺、そして声を失った時どれだけ辛かったのか想像もできませんよね。

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渋谷天外(2代目)の生い立ち!

渋谷天外(2代目)さんの、若い頃の生い立ち情報をご紹介します。

明治39年6月7日に京都の祇園で生まれています。

 

そして、生後3カ月の時に、母親は生まれたばかりの息子を残し実家へ戻ってしまいます。
しかも、裕福な家庭の男性と再婚するのです(;’∀’)

 

渋谷天外(2代目)さんは若い頃の8歳の時に、楽天会という劇団で役者としてデビューしている経歴があります。
東京公演の際に出演する予定だった子役が急病のため出演できず、代役として舞台に上げられました。

 

ですが、デビューから2年後、父である初代渋谷天外さんが死因は一緒ではありませんが天国に行ってしまいます><

 

当時人気のあった楽天会ですが、看板役者であった初代渋谷天外さんがいなくなったことでいっきに低迷してしまいます。

 

そして、10歳の渋谷天外(2代目)さんに対しても周囲は冷たくあたるようになりました。

 

その後、楽天会は解散します。
小学校も出ていない2代目は進路が決まらず迷走します。
役者を辞めた後、親戚の経営する店で働くも長くは続きませんでした。

 

渋谷天外(2代目)さんの生い立ち情報は、進路が決まらない中、喜劇役者の曾我廼家十郎さんのお見舞いに行った際に自身の近況を報告します。
そこで脚本を書くように勧められます。

 

小学校も卒業していない自分には書けないと自信がなかった2代目に、曾我廼家十郎さんは「小さい時から喜劇の世界で、見たり聞いたりした経験を活かして脚本を書くように」と助言をしています。

 

そして、渋谷天外(2代目)さんの、初めての代表作品「私は時計です」は曾我廼家十郎さんの手によって上演されました。

 

上演期間は2日間、内容も手直しされての上演でした。
しかしこの出来事が、役者の道に戻るきっかけになったという、若い頃の生い立ちになります^^

渋谷天外(2代目)の若い頃はイケメン?

渋谷天外(2代目)さんの、若い頃はイケメンだったのかご紹介します。

 

幼少期から喜劇役者として華やかな世界で生きてきた方ですから、昔は、とても人気だったそうです。
2人目の奥さんは15歳年下ですし、女性関係が多かったようでモテモテだったんですね^^

 

若い頃の渋谷天外(2代目)さんの写真を見ると、どの写真も笑顔で魅力的です(*^^*)
くっきりとした二重にぷくっと大きい涙袋がありましたので、現代の女子に人気の目元ですよね♪

 

私は、とてもうらやましいです(笑)

 

渋谷天外(2代目)さんは、イケメンということではないかもしれませんが、誰にでも愛されるお顔立ちをされています^^

 

ですので、人気者になれた背景には、この愛嬌のあるお顔のお陰かもしれませんね♪

 

 

表舞台では、仕事一筋の経歴があり愉快で人気者ですが、実は苦労人の一面も持ち合わせているのです。

 

女性関係が絶えなかったということは、裏を返せばたくさんの女性が放っておかなかったということでしょう。

 

笑顔の裏の苦労話というそのギャップが、母性本能をくすぐるのかもしれません。

 

2代目の渋谷天外さんは、現代でいうと明石家さんまさんのような方でしょうか。
ですので、若い頃から、居るだけで周りの人を笑顔にできる、そんな魅力があったのかもしれませんね♪

渋谷天外(2代目)は若い頃に九重京子と再婚していた!

渋谷天外(2代目)さんは、若い頃に九重京子さんと再婚していた情報をご紹介します。

 

2人目の奥さんで、最初の奥さんは浪花千栄子さんという女優さんでした。

 

空襲で借家を焼け出された渋谷天外さんと浪花千栄子さんが、松竹家庭劇の寮に住んでいた時の出来事ですの。

 

その寮に、若い頃から浪花千栄子さんが可愛がっていた弟子の九重京子さんが頻繁に遊びにきていました^^
時にはそのまま泊まっていくこともあり、2代目が九重京子さんを愛人にしているという噂もあったほどです。

 

ある夜、いつものように部屋に遊びにきていた九重さんが腹痛を訴えます。
浪花千栄子さんは夜の街を薬を求めて走り回りました。

 

やっとの思いで薬を手に入れ帰宅すると、なんと2人が親密にしているところに遭遇してしまいます!
最悪の展開ですよね(^_^;)

 

浪花千栄子さんは、その場で渋谷天外(2代目)さんをなじり、責め立てます。
すると2代目は15日ほど家を出ると言って家を出てしまい、それ以降浪花千栄子さんの元に戻りませんでした。

 

渋谷天外(2代目)さんは、直接離婚を切り出さず、なんと新聞で浪花千栄子さんとは離婚したと発表したのです。
そのうちに九重京子さんに子供がいる事が発覚しました。

 

子供のいなかった浪花千栄子さんは身を引き、渋谷天外(2代目)さんは九重京子さんと再婚しました。
若い頃から、やんちゃだったようですね^^

 

可愛がっていた、弟子と愛する夫の両方に裏切られた浪花千栄子さんは悲しんだでしょう><
しかも新聞で離婚したと発表されるなんて。

ちょっと信じられない話ですよね(;’∀’)

渋谷天外(2代目)は女性好きな生い立ちがあった?

渋谷天外(2代目)さんは、女性好きな生い立ちがあったのか調査しました。

 

浪花千栄子さんとの結婚生活中の親密度合いもそうですが、渋谷天外さんは女性関係の絶えない方でした。
あまりに多いので、結婚前は浪花千栄子さんにデートをする女性のセッティングを管理させていたくらいです(^_^;)

 

そして、浪花千栄子さんとの離婚後、九重京子さんと再婚した後も女性好きは治りませんでした。
それは、脳内出血で倒れる59歳まで続いていたのだから驚きです。
なので、生粋の女性好きの生い立ちがありました。

 

 

そんな、渋谷天外(2代目)さんに、妻である九重京子さんはある条件を出しています。
それは「お金で解決できない女には手を出さない」「外に子供を作らない」というものでした。

 

若い頃は、できるだけ面倒な関係を作らないようにとお願いしたのですね。

 

終戦後、劇団「すいーと・ほーむ」を立ち上げた際も妻である浪花千栄子さんと、一緒にドサ回りをしています。

 

生まれて間もなく母親と離れた過去がある渋谷天外(2代目)さんは、そんな生い立ちから好きな女性をそばに置いておきたいと思ったのかもしれませんね。

 

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渋谷天外(2代目)のまとめ

渋谷天外(2代目)さんは、年齢が8歳で喜劇の世界に入っています。
喜劇役者としてだけではなく脚本家しても活躍し、戦前から戦後の激動の時代に笑いを提供してきました。

 

学歴や自分自身の生い立ちにも負けず、力強く前へ前へと歩んでいく姿には勇気づけられますよね。
魅力的な笑顔で周囲の人を笑顔にし浮気をしても憎めない、そんな愛される人柄だったことが分かります。
2代目渋谷天外さんが、愛された証拠に、社会や文化に貢献したと評価され国から章をもらっています♪

 

そして、死因は脳出血という病気でした。

令和2年目の今年は、悲しいニュースや大変な出来事が多いかと思います。
私は、経歴や生い立ちを知って、自分の可能性をあきらめないことの大切さを再認識しました。

大変な時代の中で、自分の可能性を他でもない自分が潰してしまうこともあると思います。
社会がどんな状況でも、自分を信じてたくましく生きていくという、大切なことを学べました。

 

渋谷天外(2代目)の経歴や死因が凄い?若い頃の生い立ち!九重京子と再婚していた!

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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