浪花千栄子の生い立ちが凄い!死去理由は病気?昔は養女で学歴が無い噂は本当?

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2020年のNHKの朝ドラ「おちょやん」のモデルの、浪花千栄子さんの生い立ち~生涯を終えるまでの人生はまさにドラマそのものです。

 

貧しい家庭に生まれて女優として成功するまでには、一体どんなドラマがあったのでしょうか。

 

華やかで、そして苦労を重ねた生活をしていたそうですが、死因は体調不良だったと囁かれています。

今回は、浪花千栄子さんの生い立ちが凄い情報や、死去理由は病気が原因なのかと、昔は養女で学歴が無い噂は本当なのかなどについてご紹介していきます。

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浪花千栄子の生い立ちが凄い!

浪花千栄子さんの生い立ち情報をご紹介します。

明治40年11月19日、大阪府南河内群東板持村に南口卯太郎さんの長女として誕生しました。
非常に貧しい家庭だったうえに、千栄子さんが4歳の時に母親が病気で天国に行ってしまいます><

 

母親が天に召されると、炊事などの家事を幼い浪花千栄子さんが全て担当することになりました。
その後父親が再婚をしますが、再婚相手の女性は妻としても母としても役割を果たさない残念な人でした。

 

家事も育児もしない継母は何度か家出をしており、父親が探しに出たまま1カ月も戻らないことがありました。
残された千浪花千栄子さんと弟は米や、腐った芋、池になっていた木の実などを食べて飢えをしのぎます。

 

 

挙句の果てに家出から戻った継母に、「この子は嫌いだ!」と言われ、祖母の家に預けられることになります。

その後の生い立ち情報は、祖母の家は生活が苦しくなり、浪花千栄子さんは父親に内緒で仕出し料理屋に奉公に出されてしまいました。

 

 

そして、その奉公先で8年間働きますが、この仕出し料理屋さんというのがかなり過酷な環境です。
当時8歳だった浪花千栄子さんですが、パワハラというレベルでは済まない酷い対応を奉公先でされています。

 

ここまでを見てもかなり凄い生い立ちですよね。
当時はわりと多い話だったのでしょうか…

浪花千栄子の生涯は女優さん一筋?

浪花千栄子さんの生涯は、女優さん一筋なのかご紹介します。

8歳から16歳まで仕出し料理屋で働いていた経歴があります。

奉公先を脱出した後は、カフェーと呼ばれる現在のキャバのようなお店で勤務しています。
どうやら最初から女優を目指していたわけではなさそうです。

 

ですので、学歴(出身高校・大学)を積み重ねると言うより、働くことを重視していたのでしょう。

 

浪花千栄子さんは、ある時女優志望の知人の誘いでカフェーを辞め、無名のプロダクションに入ることになりました。
これで女優としての第一歩を踏み出せます^^

 

しかし入ってすぐにプロダクションはすぐに潰れてしまいます。
こんなに上手くいかないことってあるんでしょうか><

 

それではあんまりなので、すぐに監督が紹介してくれた劇団に入ることになります♪
まさに、捨てる神あれば拾う神あり、といった感じですね^^

 

浪花千栄子さんの生い立ちから生涯において、この言葉のような場面がこの後も多く出てきます。

そして当初、女中として劇団に入ったつもりでした。
ですので、女優希望ではなかったんですね!

 

しかし物覚えが良かったので、座長に気に入られ座長の弟子に昇格します。

 

そして、ある時千栄子さんは、座長の代役として急遽主役を務めることになりました。
なんでも彼女、主役のセリフを暗記していたというのです。
若い頃から物覚えが良すぎですよね(*^^*)

 

しかしいざ本番になると、緊張からセリフを忘れてしまうというアクシデントが発生。
なんとか誤魔化すため千栄子さんは、舞台上の木に登ったり、ロープにぶら下がったりと派手なパフォーマンスを披露します。

 

この対応がお客さんに大好評となりました(*^^*)
ピンチをチャンスに変え、浪花千栄子さんは看板女優として活躍することになります。

 

浪花千栄子さんの生涯は女優一筋というわけではなく、ひょんなことから女優さんになったんですね^^

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浪花千栄子の昔は養女だった噂は本当!?

浪花千栄子さんは、昔は養女だった噂は本当なのか調査しました。

実は、養女ではありませんが、養女として南口輝美さんを迎えています^^
南口というのは千栄子さんの本名です。

 

フルネームは「南口キクノ」さんです^^
「なんこう、きくの」→「軟膏、効くの」という出来すぎたジョークでオロナイン軟膏のCMに抜擢されています。

 

女優さんとしての浪花千栄子さんを知らない方も、オロナインの人!という風に認識しているくらい有名でした。

さて本題に戻りますが、実の子供はいません。
元夫である渋谷天外さんと離婚してからは再婚せず、晩年は養女である南口輝美さんと旅館を経営しました。

 

また浪花千栄子さんは渋谷天外さんとの離婚後、南口輝美さんの前に養子を取っています。
しかし1人目の養子の方は、千栄子さんを裏切って俳優と駆け落ちをしてしまいました。
その後養女として迎えたのが南口輝美さんです。

 

浪花千栄子さん自身は、昔から養女ではないものの、幼少期は祖母の家に預けられていました。
実の母親は、死去理由は千栄子さんと違いますが早くに天国に行っており、祖母に気に入ってもらうために幼い千栄子さんは懸命に働きました。

 

その努力もむなしく、その後口減らしのために奉公に出されてしまいます。

 

そして、養女である南口輝美さんと、京都嵐山の天龍寺内で旅館を経営していた晩年。
波乱万丈すぎる、生い立ちから生涯を終えるまでの人生を送ってきた浪花千栄子さんにとって、この頃が一番心穏やかに過ごせた時期かもしれませんね^^

浪花千栄子の昔は学歴が無い噂は本当?

浪花千栄子さんの昔は、学歴(出身高校・大学)が無い噂は本当なのか調査しました。

結論から言いますと、小学校を卒業しておらず、その後も学校に通ったという情報はありません。

 

というのも行商だった父親が家にいない間、弟の面倒を見るのは、いつも千栄子さんでした。
そのため学校に通うことができなかったのですね。

 

同じ年齢の子供が小学校に通っているのを見ては涙を流していたそうです><
切なすぎますよね。

 

そして、浪花千栄子さんの昔は、年齢が8歳の時に父親が再婚したので念願だった小学校へ通うことができましたが、その学校生活はたった2カ月で終了しています><
この原因は両親にあります。

 

まず再婚相手の女性が家事をできない人だったため、千栄子さんは毎日自分でお弁当を作っていました。
しかし幼すぎてお粥しか作れず、友達にお弁当をバカにされてしまいます。

つらいですよね、可哀想で泣きそうです><

 

 

お弁当を作ることを諦めて、お昼の時間を校庭の木の下で過ごしていました><

 

また両親が月謝を払わなかったので先生に叱られてしまい、怖くて学校に通えなくなります。
結局2カ月で小学校生活は終了し、千栄子さんは字を覚えることもできませんでした。

 

浪花千栄子さんは、女優になった後も、若い頃から学歴(出身高校・大学)は無いけど独学で勉強していました。
時には自分よりも年下の役者さんに教わることもありましたが、その姿勢は謙虚そのものでした。

 

浪花千栄子さんは、自分の生い立ちや学歴を悲観せず、いくつになっても分からないことを学びたいという姿勢を持ち続けました。

 

私は、NHK朝ドラ「おちょやん」は、涙を流しながら視聴するでしょう。
これだけ苦労してきたら卑屈になってしまっても不思議ではありません。

 

私なら完全に卑屈になって自暴自棄になります。
たぶん字も読めないままです><

浪花千栄子の死去理由は病気?

浪花千栄子さんの、死去理由は病気が原因なのか調査しました。

 

昭和48年12月22日に自宅で天に召されています。
死去理由は消化器官が原因でした。

 

 

生前、養子の南口輝美さんに自分が天国に行った際にやってもらいたいことを伝えていました。
それは自分が息を引き取ったら、力いっぱい顔に衝撃を与えて欲しいというものでした。

 

遠慮せず、全力で何度も何度も衝撃を与えて欲しいとお願いし、理由は顔に活力が戻って肌が綺麗に見えるからなんだとか。

 

浪花千栄子さんは、「私は役者だから、お別れに来てくれた人に見苦しい顔を見せたら失礼でしょう、皆さんの記憶に残る私は綺麗な私で居ないと」と南口輝美さんに遺言とも言える言葉を残しています。

 

そう言って、南口さんに練習をさせていました。
浪花千栄子さんが死去された時、南口輝美さんはこの言いつけを守って泣きながら衝撃を与えたんだそうです><

 

その為、浪花千栄子さんの顔は生きているように綺麗だったということです。
死去理由は病気ではなく、突発的に天に召されました。

 

大切な方の突然の訃報にひどく動揺している状況で、言いつけを守った輝美さんは本当にすごいですよね!
輝美さんの当時の心境を想像すると涙が出てきます><

 

「皆さんの記憶に残る浪花千栄子は綺麗な浪花千栄子でないと」の言葉に、私は胸をうたれた思いです。

たくさんの苦労を経験し長年女優として多くの人に感動を与えてきた、浪花千栄子さんらしい言葉だなと思います。

浪花千栄子が、おちょやんと呼ばれるのは生い立ちが関係してる?

浪花千栄子さんが、おちょやんと呼ばれるのは生い立ちが関係しているのかご紹介します。

おちょやんとは、女中見習い、仲居見習いという意味の言葉です^^

 

本来は「おちょぼさん」という言葉ですが、大阪訛りで「おちょやん」という単語になりました。
おちょやん、声に出して言ってみると可愛らしく、親しみを込めて呼びたくなるなと思いました。

 

しかし実際はそんな平和な世界ではありません。
浪花千栄子さんが、おちょやんとして8年間過ごした浪花料理の主人は大変厳しい人物でした。

 

少しでもミスをすると、調理器具で頭をポンポンする事もあったそうです><
もうそれは厳しいとかいう優しい話ではなく、恐喝とかそういうレベルなのではと思いました。

 

また洗い場から出た米などのゴミが、店のドブの金網に溜まるようになっており、そこに米があるのを見るとそれを食べるよう指示されたそうです。

 

そうして、浪花千栄子さんは逆らえなくなりゴミの中から米を拾って食べたりした生い立ち情報がありました。

パワハラどころではないですよね><

 

しかも8年間懸命に働き、さらに主人からパワハラを受けてきたのに給与は一切無かったそうです。
その理由は、食事と衣服だけ支給してくれたら給料はいらないという契約だから、というものでした。

 

浪花千栄子さんは、若い頃から学歴(出身高校・大学)を積み重ねていれば、また別の生涯が待っていたのかもしれません。

 

現代ならありえないですが、当時はこういうことが結構あったのかもしれませんね。
おちょやんという言葉の、どこか可愛らしい響きからは想像もできないエピソードに驚愕しました。

 

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浪花千栄子のまとめ

浪花千栄子さんの生涯は、フィクションなのではと思いたくなるほどに波乱万丈です。
過酷すぎる生い立ちもさることながら、女優になってからも夫と愛弟子による裏切り、養女の駆け落ちなどのハプニングが続きます。

 

そして、学歴(出身高校・大学)は無く、養女ではありませんでした。

 

「大阪のお母さん」と呼ばれ、国民に愛された浪花千栄子さんは死去後、勲四等端宝章を授与されました。
死去理由は、病気ではなく消化器官系が原因です。

 

自身の死去後まで、「女優・浪花千栄子」を演出したまるでドラマのような千栄子さんの生涯でした。
若い頃から、何度乗り越えても繰り返し訪れる苦難にも負けず、その人生を最後まで力強く歩みました。
それゆえ、たくさんの人に愛されており、今悩みを抱えている方も勇気をもらえたのではないでしょうか^^

 

浪花千栄子の生い立ちが凄い!死去理由は病気?昔は養女で学歴が無い噂は本当?

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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