渋沢栄一の学歴(出身高校・大学)や年収を調査!設立した大学について

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渋沢栄一氏は、2024年からの1万円札の顔になる事になっていますよね(*^^*)

 

出身高校・大学などの学歴情報や、や年収などを気になる方も多いのではないでしょうか。

 

近代の日本経済に大きな影響を与え、数々の企業設立に携わってきました。

 

小さいころから優秀だったので、たくさん勉強をしてエリート街道を進んできたのかもしれないですね^^

 

また、教育事業にも力を入れてきた渋沢栄一さんは学校や大学なども創ったと言われています。

本当にいろいろな分野において活躍していた方で、日本経済に多大なる功績を残した人物です。

 

今回は、渋沢栄一さんの学歴(出身高校・大学)や年収と、設立した大学などについてご紹介していきます。

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渋沢栄一の年収を調査!

渋沢栄一さんの、年収を調査しました。

 

明治政府の大蔵省に入省した際の明治2年ごろの給料は月給133円だったと言います。
明治時代のお金の価値を調べてみると、1銭200円ほどです。

だとすると、当時は1円の価値は2万円ほどになるんですね^^

 

渋沢栄一さんは、政治家になったばかりの年齢が30歳前後で月給260万も稼いでいたということですね(@_@)

 

年収にすると3000万超えというところでしょうか。
やはり、当時から政治家というのは上流階級だったのでしょうね(>_<)

 

渋沢栄一さんが大蔵省を辞めて、実業家に転身後の明治20年(48歳頃)の年収は97,316円で、日本第8位でした。

 

明治初期よりもお金の価値が変わっているので、この頃は1円3,800円ほどの価値だそうですが、ざっと計算しても3億6000万です。

 

実家が豪農であった父の背中を見て学んだこともあり、自身も大富豪になったのはさすがですね(*^^*)

 

何百もの企業設立に関わって、国の為に動いた方で、設立のために資金の寄与なども行っていたようです。

 

これだけ稼いでいても、傲慢にならず世の為人の為に貢献するとは、本当に心が綺麗で広い方というのが分かりますね(*^_^*)

渋沢栄一の学歴で出身高校はどこ?

渋沢栄一の学歴で、出身高校はどこなのか調査しました。

 

実家は豪農でお金もあり、幼少の時から父から学問の手解きを受けていて算盤も得意だったので、出身高校は偏差値も高い有名私立大学だったのでしょうか(^o^)

 

※豪農とは、たくさんの土地を所有し、権威性もある富裕農家のことです

 

渋沢栄一さんは、出身高校を卒業している情報はありませんでした。

10代の頃は江戸時代ですので高校などはなく、農民であった栄一さんが通ったとすれば寺子屋だと思います。

 

しかし、そのような情報もないので勉強は独学でして学歴を積んでいたのでしょう。

また、渋沢栄一さんは7歳ごろから従兄である尾高惇忠から論語や剣術などを学んだと言い伝えられています。

 

惇忠は栄一さんにとって憧れの存在で、栄一さんの人生に大きな影響を与えたといっても過言ではないでしょう^^

 

尾高惇忠さんもまた、とても頭が良い方で勉強が好きな人だったのでしょうね(*^^*)

 

渋沢栄一さんに高校の学歴はありませんが、父や従兄から学問の機会を与えられ、結果的に出世街道と辿るという意味では渋沢栄一さんはエリート高学歴と言えるでしょう。

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渋沢栄一の学歴で出身大学はどこ?

渋沢栄一さんの、学歴で出身大学はどこなのか調査しました。

 

10代の時にはまだ学校という教育制度が出来ていなかったので、高校のような学歴はありませんでしたが、その後大学へは進学したのでしょうか。

 

渋沢栄一さんが、大学へ通っていたという情報もありませんでした(>_<)
やはり大学なども存在しない時代だったので、もちろん渋沢栄一さんにも大学を卒業した学歴もありません。

 

勉強熱心だった渋沢栄一さんは学ぶ事には貪欲で、21歳の時には江戸に出て、儒学者の海保漁村の塾で勉強したり、江戸の名門道場で剣術修行に励んだと言われています^^

 

当時田舎に住んでいる平民が江戸に行くというのは海外留学をするくらい価値のある事とされていたので、渋沢栄一さんの学びたいという精神と、行動力は本当にすごいと思います(@_@)

 

 

私は大学に進学していますが、友達とおしゃべりしに行っているようなものだったので、今更ながら、ちゃんと勉強して知識と教養を身に付けておけばよかったと後悔しています(笑)><

 

その後、27歳で徳川幕府の使節団としてパリ万博を見学して世界を知るなど、当時としては最高レベルの学歴に匹敵する経験をしていたのではないでしょうか(^o^)

 

江戸時代に日本人が海外に行くという経験は、現在の海外留学に比べて大変、労力が必要な事でしょう。

 

外国の方が、賃金が日本よりもたくさん貰える可能性もあるので、渋沢栄一さんは将来、年収をアップさせる為に一念発起して海外に行っているのでしょう^^

 

当たり前に海外に行ける現代とは違い、宇宙旅行に行くのと同じくらい凄い事だったのでしょうね。

渋沢栄一が設立した大学はどこ?

渋沢栄一さんが、設立した大学はどこなのかご紹介します。

 

出身高校・大学を卒業していたら、母校の為に貢献していたと思いますが、教育機関の設立にも多く関わっていました^^

 

設立大学の数はなんと164校だと言い伝えがあります(@_@)

 

渋沢栄一さんは、一体いくつの仕事をこなしてるのでしょうか( ゚д゚)ハッ!
忙しすぎて目が回りそうですね(笑)

 

大学では代表的なところとして、明治8年に森有礼と共に「商法講習所(現在の一橋大学)」を設立、支援をしました^^

 

また、明治34年には「日本女子大学校(現在の日本女子大学)」の設立や支援にも関わっています!

 

渋沢栄一さんは日本女子大学を設立するに当たり、1億を超える支援金を寄付したと言われています(*^^*)
やることが偉大すぎますね(>_<)

 

新しい時代には、女性の知恵や才能を育てていくべきだと考えていたのでしょう(^^)

 

また大隈重信が設立した早稲田大学には募金支援をしたり、大学の管理委員長を務めて運営維持に協力しました。

 

他に渋沢栄一さんが設立に関わった大学は、「東京経済大学・高千穂大学」などがあります。
数が多すぎて残念ながら全ての大学は挙げられません(T_T)

 

しかし、渋沢栄一さんは色んな大学に関わり、教育機関の発展にも力を注いだことが分かりますね(*^^*)

渋沢栄一が設立した大学は母校?

渋沢栄一さんが、設立した大学は母校なのかご紹介します。

 

大学の学歴は積んでいないので、設立大学が母校ではありません(>_<)

 

もし渋沢栄一さんが居た時代に高校や大学などの教育機関が出来ていたら、きっと偏差値の高い有名大学に進学していたかもしれないでしょう♪

 

渋沢栄一さんは多くの大学の設立、経営に携わり校長を務めた大学もあります(*^^*)

 

日本女子大学や二松学舎大学の校長を務め、教育制度の充実や学生の学力向上に尽力しました。

 

幼少期から父や従兄に学問を教え込まれ勉強熱心だったこともあり、教育や教養の大切さを知っていたのでしょうね(^^)

 

私たちが当たり前に通っていた学校も、渋沢栄一さんのように教育改革を推し進めた人がいなかったら存在していなかったのではないでしょうか。

 

様々な学べる環境が用意され、若者が夢を持てる時代になった事は渋沢栄一さんにとっても理想の日本の姿だと思います(^^)

 

私もまだまだ夢を捨てずに、渋沢栄一さんのように、学ぶことに貪欲に生きたいと思います^^

渋沢栄一は学歴のお陰で年収が凄い?

渋沢栄一さんは、学歴のお陰で年収が凄いのでしょうかご紹介します。

 

10代~20代前半の頃はまだ江戸時代だったこともあり、小学校~高校、大学へ進学するといった教育制度が存在しなかった為、渋沢栄一さんに学歴はありません(>_<)

 

 

しかし、論語、儒学など当時の一般教養をしっかりと学び、さらに江戸へ留学、また徳川慶喜に部下として仕え、ヨーロッパへと視察旅行に行くなど、当時としての経歴はかなりエリートコースでしょう。

 

 

渋沢栄一さんの年収については先の見出しでもご紹介しましたが、官僚時代の明治2年~明治6年の間で最高月収を調べたところ、明治5年には月収350円だったと言われています。

 

年収だと現代に換算して8,400万くらいになりますね(@_@)
渋沢栄一さんが、勉強して身につけた知識やスキルは、しっかりとお給料にも反映されていたということですね^^

 

実業家転身後は約500もの企業への設立に関わり、支援金や運営資金などを寄付していたそうですので、お金にはかなり余裕があったということが分かります。

しかも世の中の為にお金を投資している事が素晴らしいですよね(*^_^*)

 

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渋沢栄一のまとめ

渋沢栄一さんは、出身高校・大学を卒業している学歴はありませんでした。

当時は、学校という施設ではなく、寺子屋という勉強場所が若者たちが勉学を学ぶところだったのでしょう。

 

年齢が30歳位で月給260万ほど頂いていたと言われています。
ですので、年収に換算すると約3000万円ほどでしょう。

 

子供の頃から父親の市川右衛門元助に学問や読書などを教えてもらい、7歳ごろからは従兄である尾高惇忠から本格的に論語を学び熱心に勉強をしました。

江戸に留学したり、武家に仕えてフランスに渡ったり、官僚になるなど栄一さんの経歴はかなり優秀だったと言われています。

 

このような経歴から、渋沢栄一さんの年収はやはり凄かったことが分かりました。

しかしもっとすごいのは、自身が設立に携わった様々な企業や大学などの教育機関に募金したり、自らも校長を務めたりと世のために生涯仕事をして、投資をしてきたという事です。

改めて、影響力の高さを実感し、彼の思想に憧れを抱く人が多いのも理解できました(*^_^*)

 

渋沢栄一の学歴(出身高校・大学)や年収を調査!設立した大学について

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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