柳原白蓮の若い頃の顔画像(写真)!生い立ち~生涯を紹介!美人で性格も良い?

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柳原白蓮さんの、若い頃の顔画像(写真)が美人ですが性格も良いのか気になる人も多いのではないでしょうか(*^^*)

 

NHK連続テレビ小説『花子とアン』で、主人公の翻訳家「村岡花子」を吉高由里子さんが演じ、村岡花子の親友である「葉山蓮子」を仲間由紀恵さんが演じて話題になりました。

 

主人公の村岡花子は、小説「赤毛のアン」を翻訳したことで有名ですが、柳原白蓮は、生い立ちから15歳という若さで結婚後、離婚・再婚・駆け落ちと波乱万丈の生涯を送っています。

 

また、日本中に知れ渡るほどのスキャンダルを引き起こしたことで有名な女流歌人で、これだけ聞くと、柳原白蓮さんの人生も気になってきますよね^^

 

『花子とアン』は、2021年1月25日から再放送されていますので、村岡花子だけでなく、葉山蓮子(柳原白蓮)にも注目して観てみると面白いのではないでしょうか^^

 

 

今回は、柳原白蓮さんの若い頃の顔画像(写真)や、生い立ち~生涯についてと美人で性格も良いのかなどについてご紹介していきます。

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柳原白蓮の若い頃の生い立ちをご紹介!

https://twitter.com/kitou0912/status/1348544642548043778?s=20

柳原白蓮さんの若い頃の生い立ち情報をご紹介します。

1885年(明治18年)に、柳原前光伯爵とその愛人の間に誕生します。
本名は燁子(あきこ)です。

 

 

すぐに柳原家に引き取られ、前光の本妻である初子に育てられますが、9歳で遠縁の北小路家の養女として引き取られることになります。

 

 

この時、すでに、北小路資武(すけたけ)と結婚することが決められていて、白蓮と資武は全く愛のない結婚をします

 

白蓮はこのときわずか15歳でした。

 

子供も一人誕生したものの、養育は義母がすべて行い夫婦の間には愛情もありませんでした><

 

柳原白蓮さんの若い頃の生い立ち情報としては、その辛さを柳原家に訴え、なんとか離婚が成立し20歳で実家に戻ることができたのです。

 

ここまで聞くと、時代だからとは言え、かわいそうでなりませんね><

柳原白蓮の生涯をご紹介!

柳原白蓮さんの、生涯をご紹介します。

 

実家に戻ったものの「出戻り」という立場で表に出ることもできず、さらに新しい縁談まで持ち込まれることになります。

 

 

そして、家出同然で飛び出した白蓮は、なんとか親戚に助けられ、23歳で東洋英和女学校に編入します。

 

ここでは他の生徒たちと共に幸せな学校生活を送り、特に、村岡花子とは親友と呼べるほどの仲になります(*^^*)

 

花子さんの、若い頃の顔画像(写真)もとても美人ですよね^^

 

柳原白蓮さんは、勉強もできて容姿端麗だった事から、学校では男子からは恋心を抱かれていたり、女子からは羨ましいとか、憧れられていたんじゃないでしょうか。

 

 

充実した学校生活を終えた白蓮でしたが、またも政略結婚をすることに。

お相手は、九州で炭鉱労働者から成り上がって炭鉱王となった伊藤伝右衛門さんで当時50歳です。

 

 

一方、柳原白蓮さんは25歳だったのでかなりの年の差ですよね><

当時は、労働者上がりの男が伯爵家の令嬢と結婚することは前代未聞で、新聞にまで取り上げられるほどでした。

 

 

お二人の、生い立ちも全然違いますし、環境も異なるのに凄い巡り合わせですよね~( ゚д゚)ハッ!

結婚後も柳原白蓮さんの苦労は続くのですが、伝右衛門には愛人や愛人との間に子供もおり、家の中にも入り込んでいる状況でした。

 

 

これでは、若い頃の柳原白蓮さんは幸せな結婚生活が送れるはずもありません><

きっと家族団らんの画像(写真)も、安心して撮れる状況では無かったのではないでしょうか・・・

 

 

苦しみや孤独の中、白蓮が唯一心のよりどころとしたのが、短歌を詠むことでした。

 

 

ペンネームで「白蓮」を名乗り、私生活を題材にした多くの短歌を執筆し、複数の歌集も出版して有名になります^^

 

 

そして、白蓮が35歳のとき、編集者の宮崎龍介と出会い、お互いに惹かれ合うようになりました。

 

許されない恋でしたが、1年に700通を超える文通と数回の逢瀬を重ね、結果、白蓮は龍介の子供を身ごもりました。

 

 

それをきっかけとして、白蓮は仲間からの協力も得て、命がけの駆け落ちに成功します。

 

この時代では、女性から離婚を申し出るなんてとても大変なことだったんでしょうね><

この駆け落ち騒動は、世の中でも有名になり「白蓮事件」として語り継がれています。

 

 

伝右衛門との離婚も成立し、白蓮は龍介と3度目の結婚をしました。

柳原白蓮さんにとっては、ようやく手に入れた幸せと言えるでしょう。

 

 

晩年は、戦争で長男が戦死したこともあり、子供の死の悲しみと平和を訴え、「悲母の会」を結成するなど、熱心に平和活動を行いました。

 

そして、1967年に81歳で波乱万丈な人生を終えたのでした。
今の時代では考えられない、本当に大変な生涯ですね。

 

 

そんな中でも、自分の思いや恋を貫いた柳原白蓮は、とても強い女性だったに違いありません(*^^*)

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柳原白蓮の若い頃の顔画像(写真)!

柳原白蓮さんの、若い頃の顔画像(写真)をご紹介します。

 

大正三大美人のひとりとされているんですね(*^^*)

大正三大美人とは「柳原白蓮・九条武子・江木欣々」の3人とされる説と、「柳原白蓮・九条武子・林きむ子」の3人とされる説があります

 

柳原白蓮さんの、若い頃の顔画像(写真)を見ると派手な顔立ちではないものの、切れ長の目で少し寂し気な表情が印象的です^^

 

鼻も高く、どこか西洋風な感じもします。

 

 

さすが伯爵令嬢というだけあり、10代の写真には、高価な着物に身を包み、綺麗に髪を結い、きらびやかな部屋で写ったものがありますね^^

 

柳原白蓮さんの写真を見るだけで、平凡な生い立ちではないことがわかりますね。

柳原白蓮の若い頃の顔画像(写真)は美人?

柳原白蓮さんの、若い頃の顔画像(写真)は美人だったのかご紹介します。

 

写真の印象では、美人と言えるでしょう(*^^*)
大正三大美人のひとりですからね。

 

当時は、今のように化粧をしていませんから、それでも綺麗な写真写りということは、メイクをしたら、もっと目鼻立ちがはっきりして美人になることでしょう

 

 

ただ、少し表情が暗い印象もあり、幸が薄そうなイメージも与えてしまいそうとも思えます><
やはり、幼い頃から自由に生きられず、辛い思いをしてきた経験が、表情に表れてしまうのでしょうね。

 

 

柳原白蓮さんは、1回目と2回目の結婚がどちらも政略結婚なんて、今の時代では考えられませんが、3回目の結婚は、自分で幸せを勝ち取りました。

 

きっとその当時の写真は、もっと穏やかで幸せそうな表情なんでしょうね^^

柳原白蓮の若い頃の評判について

柳原白蓮さんの若い頃の、評判についてご紹介します。

 

子供の時代の生い立ち情報としては、10代はつらい生活ばかりでしたが、23歳で東洋英和女学校に入学して卒業するまでの約2年間は、とても幸せな学生生活を送ります。

 

周りの生徒はみな10代で年下でしたが、白蓮は孤立することなくみんなと打ち解け、村岡花子とは親友になっています(*^^*)

 

 

柳原白蓮さんは辛い人生を歩んでいても、生涯卑屈になることなく若い頃から積極的に周囲と交わり、勉学に力を入れていたのでしょう。

 

そのような前向きに努力をする姿勢が、周囲にも好印象に映っていたに違いありません。

 

 

そして、25歳で伊藤伝右衛門と結婚したときも、伊藤家からはあまり歓迎されていなかったにも関わらず、自分の子ではない養子二人をしっかりと育て上げています。

 

不幸な自分の人生としっかり向き合い、立ち向かっている様子が伺えますね^^
同じ女性として尊敬できますね。

柳原白蓮は性格も良い?

柳原白蓮さんは、性格も良かったのかご紹介します。

 

3人目の夫となる宮崎龍介と、駆け落ちの末に結婚します。
この時期、すでに歌集や詩集を出版していたため、編集者の知人や友人がいました。

 

また、村岡花子さんとの縁も続いており、それらの友人たちが、白蓮と龍介の駆け落ちのサポートをしてくれたのです(*^^*)

 

そう考えると、白蓮には、周りの人々が助けてあげようと思える人間的な魅力が若い頃からあったのでしょう^^

 

 

 

そうでなければ、龍介も、大変な思いをしてまで白蓮と結婚したいと思わなかったでしょうし、友人たちも、後に「白蓮事件」とまで呼ばれるほどの騒ぎをサポートしようと思わなかったはずです。

 

 

自分の実生活を歌った歌集や詩集が世の中に受け入れられていることを見ても、性格が悪かったとは思えません。

柳原白蓮さんは、昔の顔画像(写真)を見ても美人で性格も良さそうな雰囲気が、伝わってきますよね^^

 

 

歌や詩には、その人の本当の姿が表現されるはずですから、歌人

 

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柳原白蓮の若い頃のまとめ

1885年(明治18年)、柳原白蓮はさんは、柳原前光伯爵と愛人との間に誕生し、柳原家の養女として育てられます。

子供の頃の生い立ち情報は、9歳で遠縁の北小路家に引き取られ、15歳で北小路資武(すけたけ)と結婚しますが、愛のない結婚生活は白蓮にとってはつらいものでしかなく、20歳で離婚します。

 

その後、実家でも苦しい日々を過ごす白蓮は、実家を飛び出し23歳と言う若さで東洋英和女学校に編入します。

ここでは幸せな学校生活を送りながら、村岡花子とは生涯の親友と言って良いくらい親交を深めていきます。

 

卒業後、25歳の白蓮はまたも政略結婚をすることになるのですが、相手は、九州で炭鉱労働者からの成り上がりで炭鉱王となった伊藤伝右衛門でした。

 

柳原白蓮さんの、若い頃の顔画像(写真)を拝見すると、とても美人で性格も良さそうな感じがしましたが、なぜか伝右衛門との結婚生活はうまくは言っていません><

 

白蓮は悩んだり苦しんだりした、生い立ちや実生活をもとに、短歌や詩を出版します。

そんな中で、35歳のときに編集者の宮崎龍介と出会い、子供が出来た事をきっかけに人生を賭けて一緒に過ごす事にしました。

 

一緒に付いて行ったのですが、何度も結婚・離婚を白蓮は繰り返しているので、3度目の結婚生活は過去の夫婦生活の事がトラウマになった事もありそうですよね><

ですが、龍介との結婚生活は幸せだったと言われています。

 

まさに明治~大正~昭和の激動の時代を生きた女性と言えますね。

 

柳原白蓮の若い頃の顔画像(写真)!生い立ち~生涯を紹介!美人で性格も良い?

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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