大河ドラマ「青天を衝け」で、渋沢千代がコレラの病気を患いましたよね><
コレラの感染経路は、江戸時代や明治時代は牛乳が原因はガセなのか気になる方は多いのではないでしょうか。
視聴者の多くが、最愛の妻を失った渋沢栄一が嘆き悲しみ声をあげて泣くに心を打たれました><
史実においても、千代はコレラで41歳という若さでこの世を去っています。
亭主とは従兄弟同士でした。
尾高千代は歌子、琴子、篤二と3人の子を残して天国に逝きました><
コレラは江戸時代から繰り返し流行しており、そのたびに多くの犠牲者を出している感染症です。
現在は国内での感染例はかなり稀となりました。
感染力もかつてのものと比べると弱くなっていますが、今でも国によっては感染が確認されている病気です。
今回は、コレラの感染経路は江戸時代や明治時代は牛乳が原因はガセなのかや、渋沢千代は空気感染だったのかなどについて紹介していきます。
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目次
コレラの感染経路は江戸時代は牛乳が原因はガセ?
渋沢千代は明治15年(1882年)7月13日早朝に東京・飛鳥山の自宅にてコレラを発病、翌14日夕方に逝去した。渋沢家は土葬がしきたりの家であったが、千代の遺体は防疫対策のため簡単な密葬の後に15日朝に火葬とされた。戒名は宝光院貞容妙珠大姉。#青天を衝け pic.twitter.com/gjR4WpflSH
— 令和の土星人。’21@ワクチン2度接種&インフル接種完了 (@4568Ts) November 21, 2021
コレラの感染経路は、江戸時代は牛乳が原因はガセなのか紹介します。
江戸時代、コレラは「虎列刺」と当て字をされたり、激しい下痢や嘔吐などの症状から「鉄砲」・「見急」で早急に天国に旅立つ人がいることから「虎狼痢」ともいわれてきたほどです。
予防の啓発で感染が減っていくまでに何度も流行を繰り返しています。
元々はインドの風土病でしたが、19世紀に世界中に感染が拡大し、各地で大量の犠牲者を出しています。
日本のコレラ流行は、1822年が最初で次いで1858年にも確認されていました。
最初の感染は、中国経由で西日本で大流行するも江戸には至らず終息したんだとか。
しかし、1858年の感染は長崎をスタートし広島や大阪に拡大したのちに江戸にも上陸しました。
この時、医師であった緒方洪庵は海外のコレラに関する書物を翻訳し、症状や治療法についてまとめています。
この書物を他の医師たちにも広めることで予防や治療に役立てていったのだとか。
江戸時代はコレラに罹りにくい野菜が高騰して、生もの、特に魚が全く売れなくなったと言われています。
様々な4民間療法が流行し、コルクを焼いて粉にしたものを飲むといいと言われていたのだとか。
「青天を衝け」では尾高千代が鼻をつまみながら牛乳を飲むシーンがあり、ドイツでは健康にいいとされているという話でした。
ですがそのドイツ船からコレラが広がったのではという話が広がり「牛乳飲んだからなったようにしか見えない」という声もあります。
感染経路は、菌に汚染された水や食品の摂取による水系感染がほとんどです。
多くは魚介類などの生食で起こっています。
牛乳が絶対に感染するというわけではないですが、ミルクは製造後に加熱せずに口にする食品ですね。
室温に長時間放置されたり、再加熱して食べるものではないとコレラ菌の繁殖リスクは高くなります><
コレラ菌は冷凍しても消滅しないので、汚染された水で作った氷、汚染された牛乳で作ったアイスなども感染リスクがあると言われています。
冷蔵庫のない江戸時代は、牛乳はお金持ちの間で薬として使用されていました。
庶民にとっては海外から伝わったばかりで正しい保管が出来ていなかった可能性もある牛乳。
そのことでコレラの感染の可能性はあったでしょう。
ですが、乳製品自体がまだまだ珍しかった時代ですから、感染経路は他にもっとリスクの高いものがあります。
そういったことを考えると、牛乳が原因とは言い切れませんね。
コレラの感染経路は明治時代は牛乳が原因はガセ?
コレラの感染経路は、明治時代は牛乳が原因はガセなのか紹介します。
1879年に流行したコレラは、感染者約16万人、死者約10万人を出しました。
そして、恐怖が妖怪「虎狼狸」を生み出しました。
虎の頭に狼の胴体、狸の巨大な睾丸を持つ奇怪な妖怪だったと言われています。
明治時代、コレラの感染拡大を受けて内務省が発表したのが「虎列刺増防論解」という冊子です。
この冊子には予防などが目的でしたが、この中で感染経路に「空気・水・飲食物・他人との交通」などが挙げられています。
井戸は便所と離し、菌が移る可能性を低くすること、濁った水を飲まない、傷んだものは食べないなど注意すべき点が書かれています。
コレラ菌が発見される前から、感染経路は生ものや水で感染することが知られていました><
生水より安全という事でラムネの人気が上昇したそうです(*^^*)
牛乳については記録がなく、これが原因だったというわけではありません。
明治時代は一気に牛乳が普及した時代ですから、水と同じように多くの日本人が口にしていますね。
元々日本人は乳酸菌等に対する腸内細菌が少なく、牛乳を飲むとこで逆にお腹を下す事もあったと言われています。
牛乳を飲んでの下痢とコレラでの下痢は程度が違いますが、飲んでお腹の調子がという人の間でこれが感染経路だったと伝わったのかもしれませんね><
治療法がなく、加持祈祷しかないと思われていました。
徐々に予防の概念が浸透することで衛生観念が高まっていきました。
今のような予防意識や衛生意識は明治の頃から少しずつ実感を持って広められたものなんですね。
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コレラの感染経路は牛乳以外の原因はある?
コレラの感染経路は、牛乳以外の原因はあるのか紹介します。
基本的には経口感染します。
魚介類にひっついて感染を拡大させることが多いようで、とくに刺身など生食文化の強い日本では感染が広まりやすいのだとか。
普通なら少量のコレラ菌なら胃液で滅菌されます。
ですが菌の量が多い時や消化器官の活動が抑制されていると、コレラ菌は小腸に到達してしまい悪さをします。
海外では水道の生水は飲まない、というのは多くの方が知るルールですが、これも対策の一つです。
非加熱の食品もコレラの潜伏リスクですね。
輸入品のコンテナについて広がることもあるのだそうで、牛乳以外にも原因となるものは多く存在します。
江戸時代や明治時代は、まだまだ医療技術も発達していませんから不治の病として恐れられていたんですね><
渋沢千代も、死因が「コレラ」だと囁かれていますからけっこう身近な病気だったのでしょう。
コレラの症状とは!
コレラの症状を紹介します。
潜伏期間は速くて数時間、遅いと5日くらいで症状が出ます。
下痢と嘔吐がほとんどで、発熱や腹痛はないことが多いです。
一番危険度が高いのが「コメの研ぎ汁のような水溶性便」が出ることです><
この状態では脱水の危険性が極めて高くなり、直ちに処置が必要と言えます。
世界での感染者は毎年130万人から400万人と言われますが、日本は100人ちょっとです。
罹っても軽症や無症状が多いですが、小児から高齢者まで誰でもかかる可能性があります。
コレラ菌は10日程度は感染力を維持するので、症状がない時に便を介して他人に感染する可能性があるのだとか。
コレラの治療法とは!
コレラの治療法を紹介します。
基本は脱水の改善なので、経口補水液や点滴による水分バランスの改善がメインです。
場合によっては、コレラ菌をなくすための抗菌薬を投与されます。
世界では、この病気のワクチンが開発されていますが、日本は未承認のため使えません><
それでも、明治時代とか江戸時代の医学の発展と比較したら現代の方が遥かに優れているので重症化するリスクは少なくなっているでしょう。
世界には3種類のワクチンがあり、2回接種が基本なのだと言われています。
使用はコレラが常在し感染リスクの高い地域での使用を推奨していることもあり、日本では優先度が高くありません。
どうしてもの場合は、取り寄せ可能な医療機関で取り寄せてもらっての接種になると言われています。
コレラの感染経路で渋沢千代は空気感染?
コレラの感染経路で、渋沢千代は実は牛乳が原因ではなく空気感染してことが死因になったのか紹介します。
実際は、空気感染ではありません。
コレラ菌を有する食物や飲料の接種、感染力のある便を処理した際に菌が手に移動し他の場所にも感染を拡大させる危険はあります。
ですが、あくまでも経路は経口感染です。
渋沢千代の場合は勿論牛乳だけが原因ではないと考えますが、空気感染ではありません。
上下水道の未発達な江戸時代、飲料を汲む井戸とし尿処理をする下水が近いことで菌が混入する恐れがありました。
冷蔵庫もない時代に生鮮食品は傷みやすく、菌が繁殖する要因となることも考えられました。
衛生管理もまだまだな頃ですから、人の接触を介しての感染もあったかもしれません。
今の時代でも顕微鏡で見るレベルの小さな菌を江戸時代に完全に排除するのは難しいです。
ですから様々な要因が絡みあって、渋沢千代の最期に繋がっていると考えられます。
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コレラの感染経路のまとめ
コレラの感染経路は、空気感染は無いと言われています。
渋沢千代が、牛乳を飲んだことが原因でこの病を患ったのが死因だと言われていますが、そもそも昔の日本は今ほど私達一人一人が生活するうえでの衛生管理が行き届いていません。
ですから、不衛生な時代だったとも言えるでしょう。
消毒薬や医療技術も発達していませんから、色々な雑菌やバイ菌が繁殖しまくってしまいやすい状況でしょうから、必ずしも牛乳が原因ではなく、色々な菌が悪影響を及ぼしていたのでしょうね。
WHOでは2030年までのコレラ終息のロードマップを示しています。
- 流行を封じ込める早期発見と迅速な治療
- コレラの再興予防
- 支援のための効率的な関係の構築
上記を軸に、今後も感染する人を減らすための取り組みが続けられます。
未だに国によっては、渋沢千代のように若くして最期を迎える方がいるのが事実です。
渋沢栄一のように悲しむ人も未だにいるわけですので侮れません。
正しい知識を身に着け、予防に努めることが今の自分にできる最大限の取り組みだなと改めて感じました。
コレラの感染経路は江戸時代や明治時代は牛乳が原因はガセ?渋沢千代は空気感染?
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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