九重京子さんの若い頃の顔画像(写真)が、とても可愛いと注目されていますね(*^^*)
2020年11月30日から始まった、第103作目・NHK朝ドラ「おちょやん」では、主役ではないですが2代目の渋谷天外さんの奥さんとして、生い立ちから生涯まで、波乱万丈の人生を歩んでいました。
「おちょやん」は、杉咲花さん演じる「浪花千栄子」の波乱万丈な人生が描かれるドラマです。
舞台は、戦前から戦後の大阪・道頓堀。貧しい家に生まれた少女が女優を目指す物語です。
その中で、「二代目/渋谷天外」(成田凌)は、結婚している身でありながら「九重京子」と不倫をし、浪花千栄子とは離婚、のちに九重京子さんと再婚します。
今回は、九重京子さんの若い頃の顔画像(写真)や、生い立ち~生涯についてと宝塚時代の苦労話などについてご紹介していきます。
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目次
九重京子の若い頃の生い立ちをご紹介!
【おちょやん】篠原涼子、しっかり者の女将役「演技でみなさんをだましたい」とは?(オリコン) – Yahoo!ニュース https://t.co/iSijnFAKOB
— YAMANE (@ya_ma_ne_yu_ma) December 7, 2020
九重京子さんの若い頃の生い立ち情報をご紹介します。
生まれたのは、大正10年10月1日生まれで大阪出身です。
ご両親のことや兄弟の事などについては、謎の部分もありますが宝塚女優としてや舞台女優としての活躍があります。
大正時代は、明治時代と昭和時代をつなぐまさに変化の時代。
特に大阪は「大大阪時代(だいおおさかじだい)」なんて呼ばれていたんですよ。
これは、大正後期から昭和初期にかけて、大阪市が大大阪と呼ばれていた時代のことです。
当時、大阪市は人口・面積・工業出荷額で日本第一位だったんです。
当時の東京市より上だったんですから、今で考えるとかなりすごいことですよね。
道頓堀の当時の街並みの写真を見ても、寿司屋やウナギ屋などの飲食店、ちょっとしたカフェやパン屋さんまであります(*^^*)
また、この道頓堀に「芝居小屋」がたくさん連なっていて、お芝居や演劇が盛んだったこともうかがえます。
東京でいうと、浅草演芸場や歌舞伎座みたいなイメージです^^
九重京子さんは、商いの街、大阪でそんな時代で子供の頃に生い立ちから生涯を過ごしました。
きっと道頓堀に行く機会もあったのではないでしょうか。
幼少期から芝居小屋で演劇を観たりして、小学校卒業後すぐに、宝塚歌劇団に入団しようと思ったのには、このような時代背景があったからに違いありません。
九重京子の生涯をご紹介!
九重京子さんの、生涯をご紹介します。
小学校卒業後すぐに、宝塚歌劇団に11期生として入団します。
しかし、約1年で退学し、その後、昭和11年に「大阪松竹少女歌劇団(現在のOSK日本歌劇団)」に入団し、昭和22年に退団するまで約10年間、ここで活躍することになります。
ここでは、飛鳥流の振り付けを基礎から学び、男役として活躍しました。
男役だなんてちょっとビックリです( ゚д゚)ハッ!
九重京子さんは、最初は娘役でしたが諸先輩の抜擢もあり男役に転向します。
私は最初、不倫の末に妊娠して略奪結婚をした女性と聞いて、男性ウケする女性らしいイメージを持っていました^^;
でも、九重京子さんの若い頃の顔画像(写真)を見て納得です^^
確かに整ったキリっとした顔立ちをされているので、男役が似合いそうな印象でした。
その後、人生を賭けて生涯、歌劇団のお仕事を全うしようと思っていましたが、昭和22年に大阪松竹少女歌劇団を退団し、翌年の昭和23年「松竹新喜劇」の一員として所属することになります。
この松竹新喜劇は、のちの夫となる「二代目/渋谷天外」とその妻である「浪花千栄子」たち数名で旗揚げした劇団です。
このときの九重京子さんは、単なるひとりの劇団員にすぎません。
しかも、芸の師匠は、浪花千栄子だったのです。
それがその翌年には、二代目/渋谷天外と不倫をして妊娠することになるのですから、人生何が起こるかわかりませんね><
その後、九重京子さんは男の子を出産した後も女優を続け、さらにもう一人、男の子を出産しています。
お二人の息子さんがいるんですね^^
長男についての情報はありませんが、実は次男は若い頃に「三代目/渋谷天外」を襲名していて、1991年に「松竹新喜劇」の代表に就任、現在も座長として活躍をしています。
次男は、物心がつくかつかないかの3歳から、舞台に上がっていたんですね。
ちなみに、歌舞伎役者・市川海老蔵さんの長男の勸玄(かんげん)くんの初お披露目は、なんと2歳8ヶ月だったとか。
舞台上で堂々と挨拶していましたよね^^
歌舞伎や演劇の世界は、私たち一般人とは全く違いますね笑
その後の、九重京子さんの活躍ぶりはあまり昔の記録には残っていません。
早くに家庭に入り、二代目/渋谷天外や息子のサポートをしていたのでしょう。
そして、平成27年4月5日に、93歳で天国に行っています。
死因は「老衰」で、病気ではありませんので大往生ですね。
老衰ということは、家族に見守られながら安らかに逝かれたのでしょう。
九重京子さんは、生い立ちから生涯まで悔いなく人生を全うされたのであれば、とても素敵なことですね^^
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九重京子の若い頃の顔画像(写真)!
九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)をご紹介します。
宝塚時代・女優作品集などは、ほとんど残されていないのですが、晩年はあまり表舞台に出ていなかったのでしょう。
そして、九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)を見ると、綺麗でとても愛嬌がある姿がありました(*^^*)
整ったお顔立ちで、宝塚歌劇団に入団したというのもよくわかります。
↓
鼻筋が通っていて、頬の骨格もしっかりしており、眉毛もキリっとして整った印象です。
確かにこれを見ると、娘役というよりは、男役として十分に活躍していたのでしょうね^^
九重京子の若い頃の顔画像(写真)は可愛い?
九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)は可愛いと言われていたのでしょうかご紹介します。
どちらかと言うと、はっきりした顔立ちから、ちょっと強そうな印象さえします。
若い頃から、男役として抜擢されたことを考えると、性格もチャキチャキした男っぽさを感じさせていたのではないでしょうか(*^^*)
九重京子さんは、女好きの夫・二代目/渋谷天外に対し、結婚の時に次のように言っています。
- 「外に子供を作らない」
- 「お金で解決できない女に手を出さない」
すごい。さすがですよね^^;
肝が据わっています。
昔の人は、女遊びは芸の肥やし、なんて言っていたそうですが、それを認めちゃう九重京子さんのような女性は若い頃のから器が大きいですよね^^
九重京子さんは、このようなエピソードからも判断材料にすると、顔画像(写真)は「可愛い女性」ではなくて、「芯が一本通った強い女性」とも言えるのでしょう。
九重京子の若い頃の評判について
九重京子さんの若い頃の、評判についてご紹介します。
小学校卒業後すぐに宝塚歌劇団に入団し、その後、大阪松竹少女歌劇団で活躍しています。
そもそも劇団に入る時点で、美人だったりスタイルが良くないと入れないはずです。
そう考えると、きっと近所でも評判のかわいい子供だったんでしょうね^^
そして、大阪松竹少女歌劇団では約10年間所属し、男役として活躍します。
もちろん、最初から人気があったわけではないでしょう。
九重京子さんは、下積み時代を経て、きっとたくさんの努力を重ねて手に入れたポジションでしょう。
若い頃から、周りのみんなからしっかり評価されたからこそ、10年も同じ劇団で活躍したに違いありません。
また、旗揚げしたばかりの「松竹新喜劇」の一員になったことからも、周りの信頼があったことがわかりますね(*^^*)
新規立ち上げは、よほど実力があると認められたり、人として信頼できる人じゃないと、声をかけてもらえないでしょう。
そのメンバーに入ったことこそ、周囲からの評判も良くて信頼されていた証ではないでしょうか^^
そこで、二代目/渋谷天外に見初められたことを考えると、女性としても魅力的だったのでしょうね。
浪花千栄子からすれば、皮肉以外の何物でもないですが><
九重京子の宝塚時代の苦労話
九重京子さんの、宝塚時代の苦労話をご紹介します。
せっかく入った宝塚歌劇団を約1年で退団しています。
タカラジェンヌといえば、当時も今も、多くの女性劇団員の憧れです。
1年でやめてしまうとなると、何かしら大きな理由があったはずです。
可能性のひとつとして、人間関係が合わなかったということではないでしょうか。
九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)を見ると、女優としての凛とした姿や可愛い雰囲気も兼ね備えていたので、周囲から嫉妬されていたのでしょう。
また、宝塚歌劇団は人間関係がかなり独特で上下関係が厳しいことで有名です。
トップスターとして活躍できる人は一握りですが、そのトップスターはまさに「神様」扱い。
逆に言うと、トップスター以外のメンバーや入ったばかりの候補生は、そのスターの面倒を見たり、厳しいしつけなどを耐え抜かなければいけないんです><
もしかしたら、嫉妬などでドロドロした人間関係があったかもしれません。
九重京子さんは、子供の頃からの生い立ちから色々と苦労していたはずですが、宝塚時代までこんな過酷な環境が続くと耐えられずに辞めてしまったのではないしょうか。
退団後すぐに「大阪松竹少女歌劇団」に所属したことを考えると、演劇をやめたくなったわけではなさそうです。
そう考えると、宝塚歌劇団という組織そのものに合わなかったのでしょうね。
結果的に、大阪松竹少女歌劇団で活躍できたのですから、やめてよかったですね^^
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九重京子の若い頃のまとめ
九重京子さんは、大正10年10月1日に大阪で生まれています。
そして、若い頃の生い立ち情報では小学校卒業後すぐに、宝塚歌劇団に入団するが、1年で退団。
厳しい上下関係や人間関係が合わなかったのでしょう。
その後、生涯を賭けて一生懸命に仕事を頑張ろうと決意して、大阪松竹少女歌劇団に約10年間所属し男役として活躍します。
昔の数少ない顔画像(写真)を見ると整った目鼻立ちから娘役というより男役がピッタリ合いそうな印象です^^
その後、旗揚げ間もない松竹新喜劇に入団し、浪花千栄子と二代目/渋谷天外と出会い、不倫関係の末に、二代目/渋谷天外と結婚して二人の息子を授かります。
その次男が、現在は、三代目/渋谷天外を襲名して、松竹新喜劇の代表と座長を務めています。
しっかり跡取りを育て上げた九重京子は、平成27年4月5日に、93歳で生涯を終えました。
波乱万丈の人生ですが、芯の強い女性像を想像させますね^^
九重京子の若い頃の顔画像(写真)!生い立ち~生涯をご紹介!宝塚時代の苦労話
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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