江川幸の結婚した夫(旦那)は誰?子供や家族構成が気になる!村岡花子から略奪愛?

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朝ドラ「花子とアン」で、花子と敬三が出会い、恋に落ちて夫婦となる出来事を語るときには欠かせない女性がいます。

それが江川幸という女性です^^

 

結婚した夫(旦那)は誰なのかや、子供・家族構成などを気になる方は多いのではないでしょうか(*^^*)

 

花子との夫となる人の先妻で、生涯続いた花子の結婚生活、その影にいた江川幸さんは、どのようにして亭主と出会ったのか、波乱万丈の夫婦生活を紐解いてみました。

 

今回は、江川幸さんの結婚した夫(旦那)は誰なのかと、子供や家族構成などについてと村岡花子さんから、略奪愛をされたのかなどについてご紹介していきます。

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江川幸の結婚した夫(旦那)は誰?

江川幸さんの、結婚した夫(旦那)は誰なのかご紹介します。

お相手の男性は、村岡儆三さんです。

 

横浜商業高校を卒業後、父親の営む福音印刷合資会社に入社します。
この会社は、聖書やキリスト教関係の印刷物を手がけた会社でした。

 

聖書印刷ではとても有名な会社で、父・平吉は「バイブルの村岡さん」と言われていました。

 

江川幸さんの結婚した旦那(夫)は、社長の息子だったんですね(*^^*)

だいたい、1代で事業を成功させた社長の子供というと、あまり仕事できないという印象もあるのですが、る村岡儆三は違いました。

 

彼が入社後、さらに事業は拡大し、銀座と神戸に支社を儲けるまでになったのです。
驚きですよね(>_<)

 

時代の波もあったのかもしれませんが、かなりの急成長でしょう^^

 

それから約7年後、1914年(大正3年)会社が東京銀座に進出し、村岡儆三さんは若い頃に銀座支店の責任者となります。

 

高校卒業後、7年で責任者って、今から考えると結構な出世ですよね。
仕事もかなりできる方であったと推測されます。

 

江川幸さんとの結婚はその翌年の1915年(大正4年)でした。
この頃の結婚は本人同士が望んでする者ではなく、家同士が決めることが多かったと言われています。

 

ですので、江川幸と村岡儆三との婚約も、身内同士が決めているのでしょう。
顔画像(写真)を見ると少し異国系の顔立ちのハンサムな男性ですね。

江川幸は結婚した夫(旦那)と別れていた?

江川幸さんは、結婚した夫(旦那)と別れている事実があります。

村岡儆三との夫婦生活は4年で結婚生活を終えています><

4年とは、かなり短いですよね・・・

 

江川幸さんは、結婚し子どもを出産した後、結核を患い療養することになります。
この時代、結核はとても怖い病気だったんです><

 

子供や家族に感染させてはいけないと、江川幸は実家へ返され、夫の儆三と長男・嘉男とも別居を余儀なくされます。

 

幼い我が子とも離ればなれ、江川幸はつらかったでしょうね。
なんと、その別居生活、3年も続くんです。

 

江川幸さんの父親は、娘が結核になり、妻としての役目を果たせないことを申し訳なく思っていたようですね。

 

それを聞いた村岡儆三の父、平吉は、幸を離縁し、新しい奥さんを迎えるのはどうかと提案します。

 

今の時代から見ると「なんじゃそら?」と思うようなことではありますが、この時代ではよくあることでした。

 

当時、妻が病気や、子供が産めない時などは、「三行半(みくだりはん)」といって、夫から妻を離縁する、というケースは多かったと言われています。

 

しかし、提案された儆三は、「今は、まだそういう気分にはなれませんね」と首を縦に振りませんでした。

 

幼いころから、敬三はキリスト教に親しんでいました。
いくら社会的に珍しくないことだと言え、病を理由に妻を見捨てるという事はできなかったんでしょうね。

しかし、あることがきっかけで、村岡儆三は心変わりするのです。

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江川幸の子供はいる?

江川幸さんの、子供はいるのかご紹介します。

 

男の子の息子が居て、名前を嘉男(よしお)といいます。

 

 

嘉男君、なんだかクレヨンしんちゃんを思い出してしまいます(笑)

結婚後すぐに嘉男は生まれますが、結核という病気のために江川幸とは離れ離れで育ちます。

 

しかし、父である儆三もその頃、仕事がとても忙しい時期でした。
そのため、幼い嘉男は、敬三の兄である十太に預けられます。

 

江川幸の療養が長引く中で、そののちには十太は嘉男を養子に入れてもいい、と言い出すくらいですから、きっとかわいがられていたんでしょうね。

 

もしかしたら、儆三を父だとは思っていなかった可能性もあります。

よく来る親戚のおじさんが、実は父親だった!なんて、父である儆三にとっても嘉男にとってもせつないですよね><

江川幸の家族構成をご紹介!

江川幸さんの、家族構成をご紹介します。

 

結婚後、夫(旦那)である村岡儆三との間に長男・嘉男がいたという事については伝えられています。

しかし、肝心の江川幸自身の実家については、詳しいことはあまりわかっていません><

 

儆三は28歳の時に江川幸と結婚していますが、28歳での結婚は当時としては遅い方でしょう。

 

ハンサムですし、勢いのある社長の息子とあれば、縁談も多く来ていたと思うのですが、江川幸との結婚の決め手や馴れ初めは、よっぽど女性に惹かれる魅了があったのでしょう(*^^*)

 

江川幸の父は、儆三の父である平吉と仕事上のつながりがありました。
また、村岡家も同じ指路教会の信者でもあり、親同士はよく知った仲だったんでしょう。

 

 

そのことから進んだ縁談だったようですね。

江川幸と村岡儆三は、そこで顔を合わせていたのかもしれないですよね。

 

また、江川家は、病気をして療養する江川幸を受け入れるとあれば、それなりの財力もあったのではないかとも考えられます。

 

江川幸の息子である嘉男は、その後、十太の養子となりますから、後継ぎにも不自由していなかったのかもしれません。

 

そのことから、家族構成は兄・弟が居た可能性は高いです。

江川幸の結婚した夫(旦那)は、村岡花子から略奪愛をされた?

江川幸さんの、結婚した夫(旦那)は村岡花子から略奪愛をされたのかご紹介します。

 

病気を理由に離縁することを選ばなかった村岡儆三でしたが、夫婦の結婚生活はあることをきっかけに、わずか4年で終わります。

 

そう、そのあることとは、村岡敬三は、「道ならぬ恋」に落ちるのです。

 

相手は後に妻となる村岡花子です。
今でいう「略奪愛」ですね><

 

朝ドラ「花子とアン」では、江川幸さんをモデルにした村岡香澄役の中村ゆりさんの演技力が高くて見入っちゃいますよね^^

 

村岡花子とは、仕事を通して出会います。
村岡花子が翻訳した原稿を読んだことがきっかけとなり、「モーセが修学せし國」の印刷人を務めるのです。

 

その出会いが1919年(大正8年)4月8日で、驚くことに、花子と儆三、同じ年の10月24日に結婚し、その後、同居を始めます。

 

略奪婚というのにも驚きですが、かなりのスピード電撃婚ですよね!
よっぽどビビビときたんですね(笑)

 

子供のことも、気遣っていた先妻の事も振り切っての再婚でしたから、周りの反応はどうだったのでしょうか。

 

そして、当の本人である江川幸はどんな風に思っていたんでしょうね。

 

これは想像でしかありませんが、案外、江川幸としてはスッキリしていたのではないかと思うのです(*^^*)

もちろん、夫という後ろ盾を失いますし、病気も思わしくないことは悲しく不安なことではあったと思います。

 

でも、そうでなければ、出会って半年のスピード再婚を成立させることはできないでしょう。

 

江川幸と村岡儆三はそれまで3年近く別居生活を送っていました。

その間、江川幸には、妻として母としての責任を果たせていないことに、無念の気持ちがあったのではないでしょうね。

 

 

その気持ちは、江川幸にとってかなりの重圧だっただろうと思います。

夫である村岡儆三と別れることで、江川幸はようやくその重圧からも解放された事でしょう。

江川幸の子供が朝ドラ「花子とアン」に登場しない理由とは?

江川幸さんの子供が、朝ドラ「花子とアン」に登場しない理由をご紹介します。

 

息子の嘉男は、朝ドラ「花子とアン」に登場しません。

 

キャスティングや枠の関係もあるのかもしれません。
しかし、それ以外にも、ひとつ考えられる理由があります。

 

それは、村上儆三と花子の結婚後、嘉男がたどった運命があまりに悲しい結末だからです><

 

江川幸との離婚、そして、村岡花子との再婚との間で、子供である嘉男は十太の養子となりましたね。

 

嘉男もすでに十太との暮らしに慣れているでしょうから、それは良かったのですが家族が離れ離れになるのは可哀想です><

 

その後、十太自身の体調が思わしくなく、嘉男は末の妹であった雪子の元へ預けられるのです。
この時、嘉男は7歳、おそらく、十太が実の父ではないことも知らされたのだろうと思います

 

この時の嘉男の気持ちはどんな気持ちだったのか、考えると苦しくなってしまいます><

末の妹の雪子は、水上政五郎という牧師のところに養子に行っていたのですね。

 

そこへ、あの関東大震災が起こります。
嘉男が預けられていた水上家は被災、家族全員が天国に旅立ってしまいます。

 

 

そう、江川幸の子供である嘉男も、わずか7歳でこの世を去ります。

 

嘉男が天国に旅立った事は、あまりに悲しく、朝ドラのイメージ的にも妻だけでなく、子どもも捨てた、という事実をあえて登場させたくなかったのでしょう。

 

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江川幸のまとめ

江川幸さんの結婚した夫(旦那)は村岡儆三という印刷業に携わる男性でした。

ハンサムで仕事もできる人でしたが、結婚後、出産を経て、江川幸が結核に感染、そのことによって、夫婦、家族ともには離ればなれになりました。

 

3年の別居の後の離婚、そして夫の再婚など、その人生には涙がにじむ出来事が多くありました。
けれども、人生が不幸だったというのは、彼女に失礼な気がします。

残された断片的な出来事の合間にある、幸福はどんなものだったのか想像の翼を広げると江川幸の生い立ちから生涯はとても興味深いものです。

タイムマシーンでもあれば、インタビューしてみたいですね。

 

江川幸の結婚した夫(旦那)は誰?子供や家族構成が気になる!村岡花子から略奪愛?

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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