渋沢歌子の学歴(出身高校・大学)を調査!女学校時代の顔画像(写真)はある?

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渋沢歌子さんは、歌人としても知らた人物でNHK大河ドラマ「青天を衝け」で子供の頃を山﨑千聖さん、成人してからは小野莉奈さんが演じています(*^^*)

 

学歴(出身高校・大学)や、女学校時代の顔画像(写真)などが気になる人は多いのではないでしょうか。

 

 

現在、新一万円札の顔の渋沢栄一氏が注目されています。

紙幣の使用開始に向けて2021年9月1日から印刷が始められており、今後全国の銀行等に蓄えられて配布の日を待つことになります。

 

そんな紙幣印刷開始に伴い、再び注目されているのは子供や子孫たちです^^

 

なかでも長女の穂積歌子は良妻賢母の鑑と言われています。

69歳で天国に旅立つまで歌人をしたり、婦人会理事としてなど多くの活動に携わりました。

 

今回は、渋沢歌子さんの学歴(出身高校・大学)についてや、女学校時代の顔画像(写真)などについて紹介していきます。

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渋沢歌子の学歴(出身高校)を調査!

渋沢歌子さんの、学歴で出身高校を調査しました。

 

渋沢栄一と最初の妻・千代の間に生まれています。

麻疹で夭折した市太郎に続く、二人目の子供が渋沢歌子さんでした。

 

千代との子は次女の琴子、長男の篤二の3人です。

渋沢栄一さんは渋沢歌子の幼少期に渡欧とかで地元を離れていたため、明治になるまでほとんど父の顔を知らずに育ったのだとか><

 

渋沢歌子さんの、学歴で出身高校は東京都の女学校に通っていました

新しい時代には女性にも教育が必要と考えていた父親は、娘にも勿論学校に通わせていたんですね。

 

 

この頃女子教育を受けている女性たちは、その後女子教育を発展させたり婦人会を作って活躍するなどリーダー的存在になっていきます。

 

渋沢歌子さんが通っていたのは東京女学校と言い、1872年に官立の女学校として始まった学校です。

竹橋に学校があったことから竹橋女学校とも呼ばれていたのだとか。

 

女子の服装に袴を取り入れ、制服の原点となる服装を始めた学校だったと言われています。

 

中等教育の学校で、外国語や物理、化学などかなり広範囲の教科を教える学校だったそうで、公立や私立の女子教育機関よりもレベルの高い授業が受けられたのだとか。

 

 

東京女学校という名前であったのは5年だけだそうですが、東京女子師範学校となり現在のお茶の水女子大学附属高校の前身でもあります。

 

 

やはり女子に教育が必要と考えていた渋沢栄一だけあって、渋沢歌子さんを難関校に通わせていたことが分かります。

その父親の想いに、きちんと答えるように学校を卒業した歌子もまた、かなり優秀な学歴だったのですね(*^^*)

 

 

渋沢歌子さんは、後に出身高校の女学校時代の同級生石井筆子が運営していた滝乃川学園が焼失した際に、資金援助を申し込むなど、友人達とは卒業後も交流がありました。

渋沢歌子の学歴(出身大学)を調査!

渋沢歌子さんの、学歴で出身大学)を調査しました。

 

学生時代だった明治時代は、まだ女性の教育は始まったばかりの頃です。

それまでは女学校というのは女子生徒がいる学校というだけだったのに対し、明治に入って女子に中等教育を施す場として整備されたと言われています。

 

 

今でいう義務教育と似ていて、一般的な女子は尋常小学校をでて、女学校で中等教育を受けた後、更に志す人は師範学校等で高等教育を受けるという流れだったのだとか。

 

渋沢歌子さんは、学歴で出身大学は定かではありません。

 

その当時、東大を筆頭に名門7大学が存在していましたが、女子禁制というわけではなかったと言われています。

しかし、入学資格が高等学校卒業生に限られていたので、女子の教育が整備される前は自動的に女性は通う術がなかったのです。

 

 

日本初の女子大生が誕生したのは大正2年ですから、そもそも大学というものは男性が通うものという風潮があったわけなんですね。

 

女性が自由に希望する大学に入れるようになったのは、第二次大戦後の昭和48年に学制が新制度に変えられてからのことで東北帝国大学に合格した3人の女性が初でした

 

渋沢歌子さんが学生だった頃は、女子の最高教育は高校までだったのです。

なので、学生服を着ている顔画像(写真)とかもありませんでした。

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渋沢歌子は学歴でなぜ女学校に通学していたの?

渋沢歌子さんは、学歴でなぜ共学ではなく女学校に通学していたのか紹介します。

明治5年に学制が発布され、女子にも教育の機会が与えられるようになってきました。

 

しかし明治12年には教育令で男女別学を基本とする教育法が定められたことで、基本的には男子校と女子校に分かれてしまうのです。

 

幼稚園と小学校は共学、中学以上は別学となっていて、カリキュラムも男女で全然違ったのだのだとか。

確かに仕事につく男性と家庭を守る女性では、習う科目が違っていたのかもしれません。

 

共学だったのは、「東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、東京音楽学校、日本大学、同志社大学、東洋大学、早稲田大学」などの限られた学校だけだったと言われています

 

共学が基本になるのは昭和22年に教育基本法が公布されてからになります。

この基本法により公立、国立学校は原則共学であることがベースになっていくのです。

 

ですから、渋沢歌子の時代は女子の学歴は女子校が当たり前だったんですね。

渋沢歌子は女学校時代の顔画像(写真)はある?

渋沢歌子さんは、女学校時代の顔画像(写真)はあるのか紹介します。

 

出身高校・大学時代の制服姿の写真はないのですが、妹琴子と着物で写る渋沢歌子の写真はありました(*^^*)

 

渋沢歌子さんの、この顔画像(写真)が撮られたのは16歳とされていますが、髪を結いあげていることもあってかなり大人びて見えます。

 

それでも白黒写真ながら子供っぽさを感じるのは、化粧が濃くないことと顔のラインが丸っぽく、子供らしいところがあるからでしょう

ウエディングドレス姿の渋沢歌子の写真もありますが、この頃には顔立ちもシャープで大人っぽい雰囲気になっています。

 

 

写真の解像度が悪くてドレスの詳細は分かりませんが、ウエストが絞られた形でスタイルの良さが分かりますね。

穂積歌子日記では、着物で椅子に座る晩年の歌子の肖像画があります。

 

 

渋沢栄一さんに、似た顔であることが良くわかるものです。

渋沢歌子さんの顔画像(写真)を見ると特に目元がそっくりで、知的で物静かな雰囲気がしてきますね^^

渋沢歌子の顔画像(写真)!

渋沢歌子さんの、顔画像(写真)を紹介します。

 

昔の写真ですので、あまり解像度が良くないのですが、それでも綺麗なお顔ですよね(*^^*)

垂れ目ではないですが、目じりが下がっているので優しい顔に見えます

 

鼻も高いし口も小さく、小顔でバランスのいいお顔です^^

渋沢歌子さんは、若い頃の16歳の頃の顔画像(写真)では眉が薄く、今どきのギャルのように眉を消しているようにも見えてしまいます。

 

そして、大人になった姿のものは細く整った眉をしています。

白黒なので化粧がわからなのが残念ですが><

 

時代的に女性は前髪を下ろすとこは少なかったと思うので、どの写真も前髪をあげておでこを出しているものが多いのだとか^^

渋沢歌子さんも、おでこが広いのでやはり知的な女性だったんでしょう。

 

晩年の写真も、よく見ると顔が小さいのが分かりますし穏やかな雰囲気が溢れています。

渋沢栄一さんの紙幣にも使われる有名な、肖像画と目と眉が同じなのはやはり親子ですね。

渋沢歌子の評判について

渋沢歌子さんの、評判を紹介します。

 

歌人として、歌も作りつつ万葉集等の研究もしていました。

歌人は和歌や短歌を詠む人ですが、それを職業とするにはかなり実績がないといけませんね。

 

有名なのは「穂積歌子日記」でしょう^^

かなり分厚い書籍ですが、明治から大正にかけての歴史的変遷や経済の移り変わりなどが良くわかります。

 

文学として楽しむだけでなく、経済や歴史の分野でも参考にされている本です。

 

 

埼玉県内にある、大正天皇即位奉祝のために作られた八基小学校の校歌(大正4年制定)は、穂積歌子の作詞なんだとか。
歌人としての活躍が地元に今も残っているんですね。

 

この時代に女性が校歌を作詞することはめずらしく「男爵・澁澤榮一・作歌」として申請したことが、当時の官報や行政文書からわかっています。

 

また、渋沢歌子さんは婦人会など女性の社会活動にも積極的だったという評判がありました。

大日本赤十字社や愛国婦人会の会員だったことが分かっています。

 

 

東京慈恵医院には、資金援助として渋沢栄一夫人の兼子と歌子の融資記録があるのだとか。

毎年多額の融資をしていた歌子は、その後東京慈恵医院の幹事にも選出されています。

 

病院だけでなくそれを支える婦人会への援助も行うなど、医療現場を支えてきました。

 

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渋沢歌子の学歴のまとめ

19歳で結婚し、3男3女を産み育てた渋沢歌子さん。

子供たちは法学者、軍人、議員など立派な職業に就いています。

 

学歴は、出身高校は「東京女学校」ですが、大学は判明していません。

 

 

子供の頃から、しっかりとした教育を受けていることが我が子への教育にもつながったのでしょうね。

時代的にも、男女平等に教育を受けられるようになっていく途中にいた渋沢歌子ですが、当時の女性では一番立派な学歴の持ち主だったことが分かります。

 

 

婦人会など女性の社会貢献にも寄付などで多く関与、様々な機関を援助したところは父親の渋沢栄一とよく似ていますね。

その援助があったから今も続いているというところは確かに存在するので、その功績は今も十分に語られています。

 

 

渋沢歌子の学歴(出身高校・大学)を調査!女学校時代の顔画像(写真)はある?

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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