村岡敬三の顔画像!結婚した嫁(妻)や子供との写真は?兄弟が気になる!

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村岡敬三さんは、朝ドラ「花子とアン」のモデルの村岡花子さんの旦那さんですが、結婚した嫁(妻)や子供との顔画像(写真)はあるのか気になる方は多いのではないでしょうか(*^^*)

 

「赤毛のアン」の翻訳を女房が、手掛けていますが現在まで多くの人達に知られているほど有名です^^

私は、読んだことがあるのですが、英語が読めないので日本語に訳してくれている本はとても嬉しいですね。

 

村岡花子たちが生きた明治、大正、そして昭和という時代は、今とは違い「女性は家を守るもの」という意識は強くありました。

 

そんな時代に、職業婦人として働く奥さんを支えてきたのですが、色々な苦労もあったのです。

今回は、村岡敬三さんの顔画像や、結婚した嫁(妻)や子供との写真と兄弟などについてご紹介していきます。

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村岡敬三の顔画像(写真)!

村岡敬三さんの顔画像(写真)をご紹介します。

 

スーツの着こなしが、いかにも仕事のできそうな2代目、といった感じですね。
よく着慣れていない人がスーツを着ると、なんだか違和感がありますが、村岡敬三にはそれを感じません

 

今では当たり前となった洋装も、明治という時代でもありますから、まだまだ洋装は珍しいのではないでしょうか。

 

そんななかで、村岡敬三は随分かっこよく着こなしています。
身体つきも大柄で、身長があることも似合っている理由ですね。

 

また、村岡家の子供である俊次は、横浜の元町でテイラーを営んでいる松野家の養子に行ったと言いますから、もしかしたら、敬三自身もスーツに親しみがあったのかもしれません。

 

朝ドラ「花子とアン」でも、村岡敬三にあたる村岡英治を演じた鈴木亮平さんも、洋装を素敵に着こなしていましたね。

 

あのドラマで主人公・はなと出会ったばかりの村岡敬三にあたる村岡英治は、ちょっと「空気が読めない」キャラクターとして表現されていました。

例えば、ヒロインのはなに対して、「ナマケモノに似ている」と言ってしまう等です。

 

ドラマの中で村岡英治は、それらのセリフを悪意なく言っているのですが、女性に対してそれはないですよね(;´∀`)

 

天然だったのかもしれませんね。

ドラマの中の1シーンとはいえ、この顔画像(写真)に写る村岡敬三に、もしかしたらそんな抜けたところがあったかもと想像してしまいます。

 

ちょっと親しみを感じてしまいますよね( *´艸`)

村岡敬三の現在と若い頃の顔画像(写真)を比較!

村岡敬三さんの、現在と若い頃の顔画像(写真)を比較してみました。

1919年に撮られた村岡敬三の姿は、少し外国の香りのする顔立ちです。
当時でもかなりハンサムな男性だったのでしょう^^

 

女性の注目を集め、かなりモテたと思います。

 

そしてまた、スーツがとても似合っていますね。
かなり体つきもがっしりしていますし、身長も当時としては高い方に入るのではないでしょう。

 

結婚した嫁(妻)の村岡花子と二人で写っている若い頃の結婚写真では、花子がすました顔で写っている割には、村岡 儆三の表情は硬いような気がします。

 

その後に撮られたもう一枚の家族写真の方では、村岡敬三はもう少し柔らかい表情をしていますから、愛する花子との結婚写真という事もあり、敬三も緊張していたのかもしれませんね。

 

村岡敬三や花子夫婦が生きた時代は、大きな地震と戦争のあった時代でした。

 

震災による家事や空襲によって、多くの写真が消失する中で、こうした写真が残されているなんて、すごいことですよね。

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村岡敬三の結婚した嫁(妻)や、子供との顔画像(写真)をご紹介!

村岡敬三さんの結婚した嫁(妻)や、子供との顔画像(写真)をご紹介します。

この家族写真が撮られたとき、村岡敬三は35歳くらいです。
着物を着ていますが、年齢よりも若く見えますね(*^^*)

 

結婚した妻(嫁)の花子は、いかにもその時代の人という顔立ちですが、村岡敬三は現代でもイケメンとして通用するのではないでしょうか?

 

朝ドラ「花子とアン」で敬三にあたる英治役を演じた鈴木亮平さんにも、どこか似ているような気がします。

 

花子と村岡敬三の子供である道雄はちょっと不安そうな顔をしていますね。
はじめての顔写真(画像)だったのでしょう。

小さな手には人形をしっかり持っている姿が、子供らしくてかわいいですよね( *´艸`)

 

村岡敬三と花子夫婦は、「妻は3歩下がって夫に従う」時代に珍しく、対等な夫婦関係を築いていたようですね。

 

夫婦仲も良く、二人で連れ添って外出することも多かったようです(*^^*)
きっと、お二人の兄弟仲も良いので、奥さんと村岡敬三さんとの関係も良好だったのでしょう。

 

また、妻の花子が執筆などで忙しいことにも理解があり、当時でも最先端だった家電の撹拌式洗濯機を購入して家事の軽減を図ったというのだからちょっと感心してしまいますよね!

 

うちの夫にも村岡敬三の爪の垢を飲ませたいと思った人も多いのではないでしょうか?

 

村岡敬三は、語学にも通じており、花子が翻訳をする際も良き相談相手になったと言われています。
夫婦としても、仕事上でも、二人は最高のパートナーだったんですね。

村岡敬三の兄弟が気になる!

村岡敬三さんの、兄弟をご紹介します。

敬三は村岡家の三男です。
意外ですよね。会社を継いだので長男かと思っていました^^

 

兄弟は六男二女、兄が二人、弟が三人、姉が一人、妹が一人です。
少子化の時代に生きる私たちから見ると、兄弟が多く感じますが、この時代では珍しいことではないようですね。

 

長女である姉は、士族である佐野精一という人の元に嫁いだそうです。
長男だった十太は、学識が高い人物だったようですが、体が弱かったと言われています。

 

そして、村岡敬三の先妻の子どもである嘉男のことを預かり、後に養子とした人物でもあります。

 

次男の俊次は、横浜でテイラーを営む店の養子となっています。
平吉や斎の正装や背広を仕立てていました。

 

村岡敬三の兄弟で弟にあたる四男の昇は、父の平吉と仲が良くなかったとあります。
父・平吉の福音印刷は、当時とても勢いがあったようですね。

 

そんな剛腕経営者だった父が、煙たかったんでしょうか(>_<)

 

そして、五男の斎が、元々は福音印刷の後継者でした。

 

父親譲りの実業家肌だったようで、その才は兄弟の中でも光っていたんでしょうね。
父親の期待も大きかったようです。

 

会社も軌道に乗っていたこともあり、斎は、かなりしっかりとした教育を受けていました。
斎は、明治学院で学ぶと、3年間ロンドンへ留学、印刷技術を学んで帰国します。

 

斎の妻(嫁)は、某製薬会社創業者の一人でもある西村庄太郎の娘さんでした。
現在でも胃腸薬でもおなじみですよね。

 

しかし、斎は後の関東大震災で命を落とします。
六男である潔は、その震災当時まだ学生だったと記されています。

 

また、この震災で命を落とした村岡敬三の兄弟はもう一人います。

それは、末の妹の雪子です。

 

兄弟達の顔画像(写真)は、あまり残されていませんが雪子は水上政五郎という牧師の養女に入っていました。

 

震災時、実は敬三の先妻との間にできた息子、嘉男も雪子のいる水上家にいました。
そして一緒に、村岡敬三は震災で二人の兄弟と、一人の息子を失うんですね。

 

敬三の心中を思うと、胸が苦しくなりますね><

村岡敬三の評判について!

村岡敬三さんの評判をご紹介します。

 

悪いイメージを持っている現代の女性は案外多いと言われています。
実は私もそうでした><

 

なぜならば、花子と恋に落ちた時、敬三はまだ先妻との結婚関係を解消してはいませんでした。

 

村岡敬三さんの、顔画像(写真)を見るとモテそうな雰囲気を漂わせていますから、女性には困らなかったと思います。

 

先妻と子供を捨てて、道ならぬ恋に落ちた、と書けば、かなりネガティブなイメージを持ってしまいますよね。

 

 

しかし、当時、そのようなことは男性にとってマイナスイメージとはならなかったと言われています。
また、村岡敬三さん自身の優しい人柄もあったのかもしれません。

 

 

おそらく、ハンサムで仕事もできた村岡敬三の評判は、当時としてもかなりいいものだったのでしょう。
会社も急成長し、当時の印刷業界でも名をはせていました。

そんな敬三を支えたのは、兄弟の五男の斎でした。
この二人はとても相性が良かったと言われています。。

 

村岡家が営む福音印刷に、入社したのは兄弟で敬三と五男の斎二人だけです。
この二人よっぽど優秀だったのではないでしょうか。

 

学者肌であった敬三と父譲りの実業家肌だった斎は、お互い足りない部分を助け合っていたようですよ。

村岡敬三の結婚歴が凄い!

村岡敬三さんの前妻は、江川幸さんで、その後は離婚して村岡花子さんと結婚をされています。

過去に、2度の結婚を経験しています。
村岡花子との結婚は2度目なんですね(*^^*)

 

最初の妻だった人の名前は、江川幸といいます。
父の平吉と仕事上でも付き合いがあった江川氏の娘、幸とは村岡敬三が28歳の時に結婚します。

 

しかし、妻となった幸は、長男の嘉男を出産後、結核に感染したことで、療養のため実家に戻ります。

 

夫婦として一緒に暮らした年月は僅かでした。
そこからナント3年近くも別居生活が続くのです。

ちょっとビックリしてしまうのが、この別居の間に、度々村岡敬三の所に縁談話がきていたことです。
まだこの間、先妻との籍は入ったままです。

 

現代では考えられないですよね(>_<)
私が奥さんの立場だったら、怒り狂っていると思います(笑)

 

当時は、結婚した妻(嫁)が病気になったり、子供が産めなかったりしたときに離縁されることは多かったようです。

 

別居期間中に周囲から離縁も提案されますが、もちろん、村岡敬三は首を縦に振ることはありませんでした。

 

小さい頃からキリスト教に親しんでいた敬三には、そんな非人道的なことはできない。
そう思ったのかもしれません。

 

しかし、村岡花子と出会い、恋に落ちたことで、村岡敬三の気持ちは変わります。
残酷にも恋というのは、そんなに今も昔も人を変えてしまうものなのですね。

 

花子と出会い、結婚し、二人が夫婦となるまでわずか半年程度、その間、先妻である幸とも離婚、そして先妻との子供である嘉男も、兄・十太の養子となります。

 

幸せな夫婦生活の陰には、悲しい妻と子の影があったとおもうと、なんだか切ないですね。

 

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村岡敬三のまとめ

村岡敬三さんの顔画像(写真)は、とてもハンサムでスーツが似合う男性でした。

高校卒業後は、父の会社の事業拡大を担うなど、仕事もできる人だったんですね。
兄弟も優秀で、兄弟仲も良かったようですね。

村岡花子と出会ったのは、先妻とまだ夫婦関係にあった時でした。
道ならぬ恋でしたが、先妻の事情もあり、出会いから半年、夫婦となります。

その結婚後、起こった震災や裏切りにあいます。
様々な困難が村岡夫婦に訪れますが、ある時は妻に支えられ、ある時は妻を支えながら乗り越えていきます。

そんな村岡夫婦の姿は、現代に生きる私たちにも、一つのヒントを与えてくれそうです。

 

村岡敬三の顔画像!結婚した嫁(妻)や子供との写真は?兄弟が気になる!

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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